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1.99年6月〜99年12月

父が5月19日になくなってから、しばらく店を閉めていました。6月から店を再開して土日に僕が店番をするようになりました。
最初は、「父がいないのにお客さんはくるのかな」と不安でした。しかし、皆さんは今まで通りおみえになり、母や僕にやさしい言葉を掛けてくれました。最初は皆さんの名前を覚えるだけで一生懸命でした。
当時は、本を読みながら店番をしていました。ある時、ふと店の中を見回すとみんなはすごく楽しそうでした。お客さんは年配の方が多いのですが、僕はこんな年配の人達が楽しそうにしているのを見た事はありませんでした。街中でみかける年配の人達とは違い、本当に生き生きとしているのです。
僕は一応ルールは知っていたのですが、碁はほとんど打った事がありませんでした。僕はその頃から、お客さんたちがやっている碁を遠くからのぞくようになりました。
そして、「碁でも覚えようかな」という気になってきました。
たまたま、指導碁に来て頂いていた馬場九段が、日本棋院中部総本部で毎週火曜日に教室を開いているということで、9月からそこに通うようになりました。
最初は、「どうして、いい大人がこんなゲームで一喜一憂するのかな」と思っていましたが、実際、教室で色々な人達と碁を打って、負けるとすごく悔しく、勝つとすごく嬉しくなりました。 そして、碁は打てば打つほど不思議なんです。
どうして、交代に打っているのに、すごく不利になるのかとか。ある場所に打たれただけで、どうしようもなくなるのかとか。特に負けた碁では、不思議なことだらけです。
教室では、最初5級で入ったのですが、すぐ4級にしてもらいました。4級になってからは、勝ったり負けたりです。

2.2000年1月〜2月

1月から2月の教室での成績は、●○○○と最初に負けてから、ぐっと盛り返し現在3連勝中です。
碁会所での成績は、2月から●●○○○○と、これもまた最初に2連敗した後、4連勝中です。それに、この4連勝の最後は、なんと馬場九段の指導碁で馬場九段をから勝ち取った白星です。普通「碁」とは、勝った時は「少し残りましたか」とか言って、おしとやかに勝ちを味わうものですが、僕のこの時は、タイガー・ウッズなみのガッツポーズでした。
ホームページを色々な方に見てもらい、色々な意見を聞いたところ、「碁のルール」を知らない人がほとんどでした。近いうちに「リンク集」と「碁のルール」を載せる予定にしています。本当は、実際に僕が打った碁の棋譜なども載せたいのですが、自分が打ったのを後からならべ直す事が全然出来ないので、それはまだまだ先になりそうです。

3.2000年3月

このホームページを見てもらった方から、「いい歳して僕はないんじゃないか」という感想が多々ありました。しかし、村上春樹フリークの僕としては「僕」という響きにとても愛着があるので、これからも「僕」でいこうと思います。
ところで、この章は「第五章」でなくて、「第碁章」となっていたのにはみなさんお気づきでしたか?
これは、いわゆるオヤジギャグです。実はここの碁会所はオヤジギャグの宝庫なんです。例えば『しまった、しまった、島倉千代子』『腹立つ、腹立つ、原辰則』、これだけなら普通ですが、ここのお客様達はもっとすごいのです。なんと『こっすい、こっすい、ケビン・コスナー』とくるのです。まさか、オヤジギャグにケビン・コスナーが使われるとは僕は思いもしませんでした。まだあります。『損した、損した、ソン・ドンヨル』などです。当初は、上記のように使われていたのですが、最近はもういきなり「これは、島倉千代子だなー」とか「おいおい、ソン・ドンヨルかよ」といったように使います。もし、初めてここに来られた時このような言葉が飛び交っていたら、だいたいこのような意味です。もし、意味がわからない時は、遠慮なく僕に聞いて下さい。
この間、「難解だ、難解だ・・・」と続いた後「南海ホークス」と言われた方がありました。隣の方がそれを聞いて、「何か出てくるとは思っていたが、まさか南海ホークスが出てくるとは予想出来なかった」と言っていました。お客様はみんな、『さぶー』と言わずに、このように言われる心やさしい人ばかりです。もし、あなたが新しいギャグを見つけたら、ここで試されるのもいいかもしれません。
話は変わって囲碁の話です。第3回名古屋タイムズ杯で、お客様の近藤五段が優勝されました。もう一人出場された瀬口五段もベスト4でした。名古屋タイムズの許可がおりたら、この名古屋タイムズ杯特集を作成しようかと思っています。僕自身の成績は、教室で3月に2連勝し、現在5連勝中です。3級へあと一歩。

4.2000年4月

3級に昇級しました。囲碁教室の成績は8勝3敗(○●○●●○○○○○○)です。最後は6連勝でフィニッシュしました。3級に昇級後も現在2連勝中です。これからの僕に期待して下さい。
しかし、店でお客様にはなかなか勝てません。特に変なところはないのに勝てません。みなさんに聞くと、攻めが少ないとのことです。明らかにキズだとか相手の弱そうな所には気がつくのですが、自分から攻めるというのは苦手です。
4月30日、馬場九段の指導碁がありました。いつもは五分五分なんですが、今回は1勝11敗で、唯一勝たれたのは都築五段だけでした。今度の指導碁では会員のみなさん、リベンジしましょう。
馬場九段のホームページが臨時ですが開設しました。リンクに追加しましたので見て下さい。また、馬場九段と囲碁の初級講座みたいなのを創る予定です。入門編はインターネット上たくさんあるのですが、その次の段階があまりないので、馬場先生と「いっしょに創りましょう」ということになりました。期待していて下さい。
第4回名古屋タイムズ杯で、お客様の小島清三段が無念にも1回戦敗退。もう一人参加された藤原六段は順調に勝ち進んでいます。東海囲碁サロンの二年連続優勝を目指します。

5.2000年5月8日(月)

みなさん連休疲れは取れましたか?僕は連敗疲れがまだ取れません。
連休中は店で色々な方に教えてもらっていたのですが、なんと成績は4勝22負、勝率.153でした。僕が負けた相手は以下の方々です。馬場九段、藤原六段、瀬口五段、河井三段、水上二段、小島忠初段、柴田初段、山口初段、坂1級、鈴木1級、小道世1級、岩崎2級、浜田2級、佐々木2級、土川3級、神山3級、深谷6級と以上バラエティにとんだ17名の方に22回も負けたのでした。「力つけたねー」とか「強くなったな」とか「若いからすぐ初段になれるよ」とか誉め言葉を僕に言いながら彼らは勝っていきます。
これだけ負けた原因は現在調査中です。原因は多々あるとは思うのですが、この前述べたように、攻めが弱いのと、早めに目算(どちらが形勢が良いかの判断)が出来ていない為、何も戦いが行われないまま終了し、10目ぐらい負けている、この2点が特に顕著です。それらの対策についても現在検討中です。

6.2000年5月23日(火)

前回5月8日の碁日記を見た近藤五段からメールを頂きました。
4勝22敗の成績を見かねて、メールを出さずにはいれなかったそうです。内容は勝つ為・上達する為の内容で、僕と近藤五段だけの秘密です。このメールを頂いてからは、4勝2敗の成績です。このうちの1敗は近藤五段と勝負し、ジゴで敗れたものです。今回、その近藤五段が優勝された名古屋タイムズ杯の棋譜再現を作成しました。まだ1回戦でコメントも載っていませんがよろしくお願いします。
囲碁教室では3級に昇級した後も3連勝中で、トータル9連勝中です。三勝目の相手は21連勝中の方でした。僕に22連勝を阻まれた彼は「これからはあなたが連勝記録を創っていって下さい」と最後に言われました。とても紳士な方でした。
先日、父が生前にお世話になっていた「ウロコヤ」に行ってきました。「ウロコヤ」は碁盤などを販売・修理をしているところです。場所は伏見にあります。今度地図を載せます。「東海中央支部の者です」とか「ここのホームページを見ました」と店の方に言って頂けると割り引きをして下さるそうです。碁に関するのもはここで買われたら良いかと思います。

7.2000年6月24日(土)

馬場九段のホームページがリニューアルしました。まだコンテンツはすべて完成していませんが、なんといってもここの売り物は、「あかりちゃんの基礎講座」でしょう。僕達には簡単すぎますが、碁を始めようという人達には教えてあげて下さい。特に子供向けに作成されています。
あと、馬場九段が企画されている「友遊くらぶ の旅行」が決定しました。この「友遊くらぶ の旅行」が今16名で争っている囲碁ゼミナール大会なのです。優勝者は無料招待、2位と3位の方は半額招待です。残念ながら囲碁ゼミナール大会で3位入賞されなかった方もぜひ自費で参加して下さい。僕も都合がつけば、初めて参加しようかと思っています。詳しくはTOPページから「第17回 友遊くらぶ」をクリックしてご覧ください。
囲碁教室では調子よく2勝して、3級に昇級した後も5連勝中で、トータル11連勝中です。残り6回のうち3勝3敗以上の成績で2級に昇級です。
碁会所での成績も五分というところで、近藤五段のアドバイスがじわじわと効き始めています。

8.2000年7月11日(火)

ついに平日に店番をやって頂ける方が決まりました。花井三段です。
それにともない営業時間も変えようと思っています。7月17日(月)より、平日は昼の12時から店を開けます。また、月曜日も休みなしで営業します。ということは年中無休という事です。
花井三段は初めてここに通っていた頃は3、4級だったそうです。だから初心者の方達の気持ちもよくわかるそうです。「あまり強くないので碁会所は」と言う人も全然気にせずに来て下さい。ここの会員の方達も最初から強かったわけではありません。僕が水上二段に「強くなる秘訣は?」と聞いたら、「ここでみんなにいじめられる事だよ」と言われました。当初7級ぐらいだった水上さんもここでみなさんと碁を打ち、自称史上最強の二段になったのです。僕もみなさんにはよく教えてもらっています。
囲碁教室では今日また勝って12連勝中です。2級昇級まであと2勝です。しかし、僕にはもう一つの記録があります。それは、瀬口五段に現在8連敗中ということです。かなりいじめられているでしょ。

9.2000年8月1日(火)

2級に昇級しました。
3級に昇級後は○○○○○○○○の八戦八勝の完璧な成績で最短昇級です。仕事の都合上、今は月に2回程のペースで通っています。
成績は良いのですが、内容は最近悪くなってきています。序盤から中盤が良くありません。後半に少し強引かなと思うような打ち方が成功して、なんとか成績は残しているのですが、快心の勝利ではありません。
特に最近は第七章名局再現で近藤五段の棋譜を並べているので、特にそう思います。近藤五段の棋譜は三四回並べると、もうすらすらと並べる事ができるのですが、自分の碁はなかなか後から並べることができません。
初段にはあと2歩といったところですが、まだまだな感じです。

10.2000年8月15日(火)

ただいまお盆大会真っ最中です。
ゴールデンウィークは散々な成績でしたが、今回は現在4勝6敗と健闘しています。これは2級で打っての成績なのでマズマズでしょう。
この前、ここのホームページを見て初めてお客様がみえました。吉岡2級です。まだ実戦経験が浅いということなので、なかなか勝ちには結びつかないかもしれませんが、「上達の近道は実戦」だそうですので、対戦局数を増やして強くなって下さい。
第七章名局再現に近藤五段の優勝までの棋譜を載せ終わりました。
近藤五段に昨日打ってもらい、もう少しで勝てそうでしたが、負けました。(待った1回あり)「打つたびに置き石が減っていきますね」との近藤五段の言葉に、僕の成長の後がうかがえるでしょう。
次の名局再現には、あの瀬口五段が登場します。
瀬口五段には、8連敗の後勝ちました。しかし、その後も1勝5敗ぐらいのペースです。
ガンガン攻めてくる瀬口五段と対戦するのは大変おもしろいです。
また、「瀬口五段の攻めに対応できるんだから、誰がきても大丈夫」と僕は教室で良い成績をあげさせて頂いています。まさに瀬口サマサマです。
数回対戦して、まだ一度も勝っていないのは、近藤五段だけです。あと、小島忠初段に最近歯はが立ちません。以前、一度中押し勝ちした時、馬場先生に「この前、小島さんに中押し勝ちしました」と僕が言ったのを聞いてからは、小島忠初段は気合い入っています。
8月25日からの馬場九段囲碁ゼミナール(友遊くらぶ)はその小島忠初段、柴田初段、都築五段といっしょに行ってきます。ここか馬場先生のところで、またその様子を載せる予定です。

11.2000年8月31日(金)

8月25日から27日まで三日間、友遊くらぶの囲碁ゼミナールに行ってきました。
この旅行は本当にメチャおもしろかったです。
僕の成績はクラス別で3位で惜しくも碁盤を手に入れることはできませんでした。藤原六段と柴田初段がクラス別で優勝し、見事にサイン入りの碁盤を手にされました。東海中央支部の方が優勝したのは初めての事と、一つのクラブで優勝者が二名でたのは珍しいと馬場先生が言われていました。
二日目に「囲碁データベース」の井上さんがおみえになり、プロの棋士の方々にインターネットの利用方法などを教えていました。そしてその夜遅くまで、井上さん、吉住さん、松野尾さん、森野九段らは「碁」について熱く語り合っていました。僕もその場にちゃっかりと参加させてもらいました。
馬場先生や森野先生そしてそれを手伝っている吉住さん達は、本当に「碁」を子供達をはじめもっと一般の人々に広げようと思って活動されています。彼らはとても熱くて素敵です。その会話に参加されていた井上さんの「碁」に対する情熱もすごいです。「斉藤さんも一緒にやりませんか」と吉住さんが声を掛けてくれました。僕も参加させてもらえるのですか?「ぜひ、参加させて下さい」と答えました。
もしかしたら、これは僕のライフワークになるんじゃないかと予感させられました。
この熱い語り合いの他にも、見所はたくさんありました。
プロ棋士の指導碁(僕は星川八段にこてんぱにやられました)、時本八段による二日連続の15面打ち、宮本九段・苑田九段の講座、アシスタントの女性達のきれいでおもしろかった事など、本当にこの旅行の誘って頂いた馬場九段には感謝しています。
馬場九段しかプロ棋士を知らない僕は、胸の名札に「棋士」と書かれているのを見ると、「おおプロの棋士だ」と思い、挨拶しまくりでした。彦坂直人九段・小県真樹九段・羽根直樹九段・羽根しげ子初段・西本欣也二段みんなに「東海囲碁サロン」の名刺を配りました。
みなさん来年はぜひ一緒に行きましょう。

12.2000年9月26日(火)

囲碁教室での連勝記録が18連勝でストップしました。
このホームページの開設前から、正確に言えば2000年1月18日から8ヶ月続いていた僕の無敗記録がついに止まったのです。
盤面を隅から隅まで見渡し、「ありません」とGIVE UPする姿は、「おお俺は、ヒカルみたいじゃないか」と自分自身に感激していました。僕はもちろん勝つために打っているのですが、負けた碁の方がなんだかおもしろいです。後から「ああしとけば良かったかも」とか結構自分自身で反省会を行うのです。
今回の負けた碁も、この前友遊くらぶで負けたのと似た感じでした。
僕の碁のスタイルは、この馬場先生の教室での教えを忠実に守り、@石の連絡A中央への進出、最後に地を作ります。そのため自然と勢力を作る碁になります。問題はここからで、教えによれば、その勢力は地を作るために利用するのでなく、戦いのために利用しなければなりません。この二回の敗戦の時は、相手が深くもなく浅くもなく僕の勢力に近づくのです。それに対する対応が僕はまだ出来ていません。後感じることは、僕は相手の地の消し方とサバキがまだまだといった感じです。
今、僕は「宇宙に遊ぶ−武宮囲碁倶楽部」を読んで布石の勉強をしているところです。
この僕のスタイルについては、前に近藤五段が「地を作る碁はやっぱり限界があるから、このスタイルを続けていけば良いでしょう」と言われていました。 布石を勉強した後は、サバキ(相手の地の消し方)を勉強しようと思っています。これを学んだ時はついに僕が初段になる時でしょう。
今からさっそく一人で反省会を開きます。とリベンジに燃えている僕でした。

13.2000年11月23日(木)

囲碁教室での連勝記録がストップしたと同時にこの日記もストップしていましたが、安心して下さい。僕は着実に強くなっています。
教室では、負けた後も3連勝し、1級にリーチをかけました。
碁会所のほうでも、10月22日に初めて三連勝大会で三連勝しました。また11月の月間成績も9勝7敗と10勝にリーチです。またパソコンゲームの光栄の「手段対局V」では九子置かせて勝てるようになりました。僕はヒカルの100歩後ろを着実に歩いています。
今度の日曜日には知多囲碁祭りに参加してきます。この知多囲碁祭りは知多地区の各支部持ち回りで行うものであり、いつの日か東海中央支部の受け持ちの場合に備えて、どのように行うかを見てきます。もちろん僕も大会に参加して優勝を目指しています。
今までは囲碁教室で昇級したら、碁会所でも昇級して打っていたのですが、今度からは碁会所では碁会所のルールに従って(月間20局以上勝率7割)昇級しようと思っています。その為今後は教室と碁会所と二つの級を持つことになりますが、この章「初段への道」では囲碁教室の級で書いていきたいと思います。正月ぐらいにホームページをリニューアルする予定ですので、来年からは碁会所での成績や棋譜なども載せようと思っています。
全然関係ありませんが、11月25日は僕の誕生日です。みなさんからのプレゼントや励ましのメール待っています。

14.2000年12月3日(日)

囲碁教室で1級に昇級しました。
成績は○○○○●○○○○と8勝1敗の成績で、とうとう初段へリーチとなりました。しかし、12月25日の「知多囲碁祭り」ではあっけなく初戦敗退です。これを例にたとえるなら、北斗の拳のファルコのようです。あのケンシロウと互角に闘った男が修羅の国にいくとあっさりと敗れてしまう・・・修羅の国はなんと強いことか、って感じです。
しかし、ここの碁会所では、もうすぐ僕が強くなりお客さんみんなに勝つという噂が「ラオウ伝説」のように漂っています。ここまでの話、わかる人にはすごく的確な表現ですが、わからない人にはチンプンカンプンかもしれません。
前回、話したように碁会所での昇級は勝率7割で上がろうと思っています。今月中に昇級しようと思い気合がはいっています。今までの成績は5勝2敗で、勝率.714です。このままの勝率をキープし、20局以上対戦すれば昇級です。
知多囲碁祭りでは、この日記にも登場する「自称史上最強の二段」の水上さんが優勝しました。写真を数枚とってきたので、いずれ紹介します。僕は抽選で運良く指導碁を打つことが出来、小県九段に八子で挑戦し、4目負けでした。「わかりやすくうまく打てているけど、もう少し厳しく打っても良い」との事でした。やはりこのあたりが、段位を取るために乗り越えなければならない壁でしょうか?
今度の土曜日は今年最後の馬場九段の指導碁の日です。今年の僕の成長ぶりを見てもらう予定です。
最後に、今日あまりに碁に夢中になっていたので、橋本二段に三連勝大会の景品を渡すのを忘れていました。どうもすいませんでした(橋本二段はホームページを見て来られたお客様です)。今度お渡ししますので、またよろしくお願いします。

15.2000年12月24日(日)

碁会所で1級への昇級をかけた一ヶ月でしたが、最終日を迎えることなく終わってしまいました。うちのルールでは、2級以下は一ヶ月の成績が20局以上勝率7割で一発昇級です。つまり14勝6敗で昇級です。
今回気合で望んだ一ヶ月はこんな感じでした。○花井三段、○土川2級、○福井初段、●山口2級、○柴田初段、●中地二段、○水上二段、出足は5勝2敗(勝率.714)でした。次に○馬場九段指導碁で勝ち、6勝2敗。今思い起こせば、問題は次の一局です。●近藤五段にジゴで敗れた一局です。ここから○神山3級、●藤原五段、●瀬口五段、●河野三段(この高段者に対する3連敗は痛かった)、この時点でトータル7勝6敗(勝率.538)に転落。もう僕に残された道は7連勝するしかありませんでした。囲碁教室で18連勝の実績を持つ僕はここでまた気合を入れ直し再度チャレンジしました。
○細川初段、○坂初段、○藤原六段と3連勝し、残りあと4つというところまできました。次の相手は加納四段です。しかし、僕はここでもまたジゴ負けをしました。●加納四段、これで10勝7敗(勝率.588)もうジ・エンドです。その後は、●深谷6級、●深谷五段、●二瓶1級、●古田8級と4連敗。10勝11敗でとうとう勝率も5割を切ってしまいました。
この前の囲碁教室でも四段の方に負けているのです。二段から五段ぐらいの人が僕はダメみたいです。
しかし、今月は収穫もありました。初めての月間10勝、三連勝大会で2回の三連勝。対戦した深谷五段が言われていました「ここから初段までがむずかしいんだよな。俺は1年かかった」と。もしそれが僕に当てはまるなら、この「碁日記〜初段への道〜」はまだまだ連載が続きそうです。
ちなみに今月六段に昇段リーチをかけている近藤五段は順調に勝ち進んでいます。

16.2001年1月13日(土)

少し遅いですが、あけましておめでとうございます。僕は年末からずっと風邪を引いていて今でも調子が悪いです。年末年始碁会所へ行っていたのですが、成績は相変わらずで、7勝11敗でした。9日(火)の囲碁教室でも負けてしまいました。(去年一度もなかった連敗です)
先月ぐらいから勝ちにこだわりすぎて、なんだか変な碁を打っています。9日(火)の囲碁教室で馬場九段が「まあ、皆さん気楽に碁を打ちましょう。強くなれば自然に勝てますから」とおっしゃていました。さすが、僕の師匠です。見事に僕の心中を察した言葉でした。そうなんです、いくら昇級したり昇段しても強くなければカッコ悪いですよね。今の相撲の大関みたいですよね。だから僕も今年はあせらずに行くことに決めました。昇級や昇段でなく一歩ずつ確実に強くなること。これが僕の今年の目標とします。
正月に親戚のおじさんとおばさんと碁を打ちました。2級のおじさんには僕が白で6目勝ち、おばさんには4子置かせて中押し勝ちでした。そのおばさんとは去年の今ごろは互戦で負けていました。強くなったという実感はあまり湧いていなかったのですが、僕はやっぱり強くなっているようです。
現在、ホームページをリニューアル中です。今年は棋譜をたくさん載せる事と、僕の「初段への道〜技術編」(囲碁教室や碁会所で学んだこと)をスタートさせようと思っています。
今年もよろしくお願いします。

17.2001年2月23日(金)

僕の教室での碁の方は、変な碁を打ち続けて今年いきなり3連敗。去年から4連敗の記録を作ってしまいました。その後は3連勝と盛り返しているのですが、どうなるかわかりません。もしかしたらこれが最初の壁というものかも知れません。
ところで、去年「友遊くらぶ」で優勝された柴田初段が転勤になってしまいました。僕がまだ碁を始めたばかりの頃から「打ちませんか?」と良く声を掛けて頂いていました。柴田初段だけではないですが、お客さんとはしゃべっている時間より、対戦している時間のほうが多いです。そして、何度も対戦していると相手に親近感が沸いてきます。これが「碁は手談である」ということかなーと思います。柴田初段には短い間でしたが大変お世話になりました。毎週碁を打てなくなると思うととても残念です。いつかお互い強くなってまた碁を打ちましょう。それまで体に気をつけて、ますます碁を強くなって下さい。

18.2001年4月14日(土)

ここは碁に関係する事だけを書いていますが、最近は書くことが少なくなってきました。イチロー・新庄の活躍や野茂のノーヒットノーラン、日本のプロ野球の開幕に、毎週のTOTOなど碁以外の話題はいっぱいあるのですが、碁に関してはなんだか落ち着いてきちゃいました。
碁の話題といえば、まず教室での成績ですが、現在6連勝中です。あと2勝すれば、初段への1回目の8勝です(1級までは8勝3敗の成績で昇級できるが、初段からはそれを2回達成する必要がある)。名古屋タイムズ杯に参加の竹内七段(六段で参加)は順調に勝ち進んでいます。もしかしたら、近藤六段についで東海中央支部の2回目の優勝になるかもしれません。
「ヒカルの碁」では佐為と塔矢名人がインターネットで対戦を開始しました。僕の予想ではサーバダウンで勝負はつかないと予想しているのですが・・・
ところで、4月8日(日)の馬場九段の指導碁では、「この前完勝だったので、8目にしましょう」と馬場九段が言われたので、1目減らして8目で指導碁を受けました。そして勝っちゃいました。
考えながら書くと結構碁の話題がありました。
あと、今年の馬場九段の囲碁ゼミナール・友遊くらぶの旅行は浜名湖に決まりました。詳しくはまた載せますのでよろしくお願いします。最後に知多地方の支部対抗戦の受け持ちが今年は東海中央支部でした。すっかり忘れていて、今準備に取り掛かっています。5月20日(日)知多市勤労会館に場所は決定しました。これについても今度詳しく載せます。

19.2001年5月22日(火)

5月20日(日)の知多地方支部対抗戦はみなさんの協力を得て無事に終了しました。東海囲碁サロンの皆さんは開始一時間前に会場に来て頂き色々手伝って下さってありがとうございました。
成績についてはまた載せます。後、名古屋タイムズ杯に出場して頂いていた竹内七段は見事準優勝でした。これも順次載せていく予定です
この前の日記で予想した「ヒカルの碁」では佐為が勝っちゃいましたね。
囲碁教室の成績ですが、『あと2勝すれば、初段への1回目の8勝です』とまではお伝えしたのですが、その後●○●●と足踏み状態です。今度6月5日に勝たないと今までの7勝はすべてフイになるというところまで追いつめられました。
僕が今日負けた相手は高校3年生の女の子でした。僕よりも早く上達する若い子に抜かれる、といつかこんな日が来るとは予想していたのですが、意外と早くやってきました。聞くところによると年は若くても碁のキャリアは僕より長いとのことでした。今日は見事にやられました。彼女は今年受験なので、彼女が受験勉強をしている間に僕は碁の勉強をしてリベンジしようと思っています。
今度の6月5日の囲碁教室は結構なプレッシャーです。しかし、良かった事もあります。今度の対戦相手は絶対な彼女じゃないと言う事です。その日だけは佐為がヒカルから僕に乗り移ってくれないかな。

20.2001年6月10日(日)

今日は馬場九段の指導碁の日でした。水上二段、細川初段と僕は10時30分から指導してもらい三人とも全敗でした。後から検討するのですが、やはり迷った手が悪手が多いです。この点だけでも進歩したかもしれません。ところで、馬場九段主催の囲碁ゼミナール・友遊くらぶ杯がスタートしました。対象となる人は、1年間の成績トップ16名ですが、一応ここで報告しておきます。対戦表は店に載せていますので、確認して下さい。(本当は今日発表するはずでしたが、店に資料を忘れて来てしまったので来週「成績発表」に載せる予定です)
ところで、前回ここに書いた教室での6月5日の結果ですが、勝ちました。これで、初段第一関門クリアです。あと8勝3敗で待望の初段に昇段です!!
店での成績も12勝3敗の.800で今月7割勝率でここでは1級に昇級になります。
知多地方支部対抗戦の成績・名古屋タイムズ杯の棋譜などまだまだ更新がおろそかになっていますが、もう少し待っていて下さい。
去年の友遊くらぶで一緒だった吉住さんのホームページ「囲碁の里」がついに開設されました。リンクに載せる予定ですが、とりあえずここから見て下さい。(2002年4月現在閉鎖中です)

21.2001年7月5日(木)

お店でついに1級に昇級しました。5月が12勝3敗、6月が14勝3敗の成績でした。1級での成績は現在2勝3敗です。なんとかなりそうな雰囲気はあります。現在僕は火曜日の囲碁教室とお店で勉強していますが、あと一つホームページを作成する際の「馬場九段の指導碁」の入力が非常に勉強になります。馬場先生のホームページに金曜日に開催している囲碁教室での指導碁をのせ始めました。段級別にまとめて載せています。目標10000局としているので、これが全部完成した時は僕の棋力はさらにアップしているはずです。
囲碁教室ではあと7勝で初段に昇段です。最近ますます碁がおもしろくなってきました。

22.2001年7月31日(火)

初段まであと4勝とここで報告するはずでしたが、今日負けてしまいました。正確にはあと5勝です。この章のサブタイトルである「初段への道」もあと5勝で達成です。初段まではカウントダウンしようと思います。みなさん応援して下さい。そして、初段になったらこの章もおしまいです。しかし、すぐ続きは始まります。今度は「三段への道」にしようかそれとも思い切って「五段への道」にしようかなどと考えていたら、今日あっけなく負けてしまいました。馬場先生いわく「最初は断然良かったのにね」と。僕もそう思っていたのです。
まあ今日の教訓としては、「途中まで良いと思っても、最後まで手をぬくな」ということです。しかし、僕は連勝もするけれど、連敗もするから大丈夫かな。

23.2001年8月9日(木)

初段まであと4勝!
今回僕が勝った相手はWさん初段です。Wさんとは教室に通いだして二回目の対戦でした。Wさんは僕の事を忘れたかも知れませんが、僕はしっかりと覚えていました。なぜなら、彼こそ僕の連勝記録を18でストップさせた人だったのです。「若いね、学生さん」との対局前の言葉に、少し緩みかけた気合を立て直し僕は盤面に向かいました。前回は、中央へ中央へという気持ちばかりで、四隅を取られ、中央でもうまく闘えず敗れてしまいました。その教訓を生かし、今回は厚く打ちながらも地を稼ぎました。中盤から少しリードしても、気をゆるめず9目勝です。
来週はお盆休みで、報告は再来週になると思います。
あと、ウロコヤの人と偶然会って「あんたには強くなってもらわないと」とプロとの指導対局券を2枚もらいました。ウロコヤについては、随分前にこの日記にも書いたのですが、まだ宣伝をしていませんでした。夏休み中に宣伝を載せますので、ゴメンナサイ。厚かましいお願いですが、いつかまた指導対局券を下さい。

24.2001年8月23日(木)

初段まであと3勝!
台風の中碁を打ちに中部総本部まで行ってきました。やはり少なくてその日は十数名しかいませんでした。しかしやっぱり、馬場先生の講義は良いですね。あまり細かい事を言わず、大きな考え方を教えてくれます。多分強くなるためには細かい事もいつかは必要になってくるでしょう。だけどこの大きな考え方だけ知っていて、実戦で出来れば三段ぐらいはいくのではないのでしょうか。僕は細かい事は実戦を積み重ねれば段々覚えてきました。今月は中部総本部のページ更新できませんでした。来月はきっと新しくします。
ホームページの更新もおろそかな僕ですが、金曜日から友遊くらぶの旅行に行ってきます。台風の時期がずれて本当に良かったです。東海囲碁サロンからは今年は5名参加しますが、何人優勝するでしょうか?楽しみです。
25.2001年8月30日(木)

友遊くらぶバンザイ!!
8月24日〜26日まで友遊くらぶへ行ってきました。成績は小島忠二段が優勝され、見事に碁盤をGETしました。僕は惜しくも2位。しかも決勝戦では半目負けという、まるでマンガか小説のようでした。僕は囲碁データベースの井上さんと同室でした。井上さんとは、井上さんが白で僕が黒で三回打ちました。その結果は、井上さんから後にメールを頂いた『隣で寝ている斉藤さんの首を絞めなくてすむように、斉藤さんに負けない腕前になって来年登場しますよ。(^-^)』の内容を見て頂ければ自然とわかると思います。エヘヘ
指導碁では彦坂九段に打って頂きました。馬場先生と同じ数でと言う事で、八子で打って頂いたのですが、僕の中押し勝でした。「もう七子で良いのではないですか。馬場先生に言っときますよ」と言われ、気分が良い僕は次の日七子でもう一度彦坂九段に打って頂きました。そこでも8目勝でした。「センスが良いね」と誉められた僕は、「俺は天才かもしれない」と周りの人に言いまわっています。
また一皮むけた囲碁ゼミナールでした
教室で勝ちました。初段まであと2勝!

26.2001年9月16日(日)

初段まであと1勝!
パスワードを忘れてしまいずっと更新できませんでした。今度の18日に教室で勝つと、ついに初段です。この日記の終わりも間近です。以前ここで書いていたように次の「三段への道」を載せる前に、ひとつの日記をスタートさせるかもしれません。内容は碁を知らなかった人(僕の友人)が5級程度までになる姿を、棋譜とそれに対するコメントという形で載せたいと思っています。どんな結果になるかは僕も想像出来ません。楽しみにしていて下さい。

27.2001年9月18日(火)

みんなの期待?を背負って望んだ一戦でしたが、11目負けでした。
僕の一番苦手な攻めてこないタイプの方でした。置き碁なら僕は結構攻めていけるのですが、そうでない場合はなかなか上手に攻めていけません。僕の父は馬場先生によれば「感覚的な攻め碁」だったそうです。いつ僕にその血が引き継がれるのでしょうか?まだまだ勉強することはたくさんあります。

28.2001年10月15日(月)

引越しが忙しくて更新出来ませんでした。
初段へのリーチ掛かりっぱなしで、教室にはずっと行っていません。今週は行こうと思っています。
新しい企画「囲碁日記〜5級への道〜」(加藤慎一編)ついにスタートします。碁の全然知らない加藤君がゲームで対戦します。その棋譜を載せて、近藤六段と僕がコメントします。加藤君はそのコメントを見て勉強するという企画です。加藤君が本当に強くなっていくのか?5級までに到達するのに何ヶ月かかるのか?僕も興味深々です。

29.2001年10月16日(火)

ついに初段になりました。
今日の相手は中学一年生の男の子でした。5級だったので4子の碁でした。僕は自分が置くのはよく打っているのですが、置かされて打つのには慣れていません。彼のうっかりミスに助けられてなんとか勝ちました。
予告通り「碁日記〜初段への道〜」は終了します。技術編は次の「碁日記〜遙かなる五段〜」と同時にスタートさせたいと思っていますが、しばらくは「囲碁日記〜5級への道〜」(加藤慎一編)をお楽しみにして下さい。今日は本当に勝てて良かったです。僕はさらに頂上を目指します。長い間「碁日記〜初段への道〜」をご愛読頂きありがとうございました。
I WILL BE BACK!!
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1、僕が澤君よりもっともっと若かった頃

 2002年4月23日(火)の囲碁教室で僕は澤君に負けました。
澤君は中学1年生。もしかしたら4月から2年生になったかも知れません。彼とはこれまで2回対戦していて、成績は1勝1敗でした。今回の負けで成績は1勝2敗になりました。この負けは、もう歴史的というか、この教室に通いだして2年7ヶ月、僕は同じ人に2回負けたことはありませんでした。
「若いから強くなるよ」「あと2年したらこの教室で1番強くなるよ」等々、多くのほめ殺しにあっていた僕は、それを全て澤君に譲ります。そんな澤君を見ていて、昔の事を考えました。僕が澤君の頃って・・・碁打っていませんでした。ボウズ頭でした。名古屋駅に映画を見に行くときは帽子かぶっていました。

僕はいつ碁を覚えたのだろう・・・記憶をたどっています
多分、父がおじいちゃんと碁を打つのを見て、自然と覚えたのだと思います。

《当時僕が知っていた碁のルール》

  1. オセロと違ってマスに石を置くのではなく、線と線の交差したところに置く。
  2. 石と石は線でつながっているから、ナナメの石と石はつながっていない。
  3. 相手の石はかこめば取れる。が、将棋と違って取った石は最後まで取っておいて途中で使わない。
  4. 強い人が白石で弱い人が黒石でやる。白石は大きく見えて、黒石は小さく見える。
  5. 最後は陣地が多い方が勝つ。陣地は囲んだ場所のことで、線と線が交差したところをひとつひとつ数える。なぜか碁のうまい人は数えるのが早い。
  6. ひとつの石を取られた後、その石をすぐ取ることはすぐに出来ない。これを続けると日が暮れる。これを専門用語で「コウ」という。
  7. ひとつしか空いていない場所(相手の陣地で)には相手の石を取るときにしか石を置けない。だから相手の陣地で部屋が二つにわかれている時は、相手がよそ見をしていても取れない。これが相手の陣地になる。
  8. 自分の陣地も部屋が二つに分かれている場合はインチキをされないかぎり自分の陣地になる。これを専門用語で「メ」という。二つだから眼と覚えた。
  9. 終わり方は良くわからない。相手が「もう終わりだね」というまで打ち続ける。子供同士の場合は誰かが止めてくれるまで打ち続ける。
  10. 途中で「負けました」とは絶対言わない。ネバー・ギブ・アップの精神で最後までやる。最後までやって、結果が勝なら大喜びして、負けたらトイレに行って泣く。
最初の対局者は多分父だったと思います。碁は強い人と弱い人が対戦する時に、ハンディキャップがあります。5子とか7子とか、多くても9子ぐらいまでが普通でしょう。しかし、僕が父と戦うときは、こんな感じでした。
これ、万華鏡じゃないです。僕の置き碁です。これだけ置いても父には一度も勝った事がありませんでした。
「弱い人は音の鳴る方へ打つ」という諺があります。これは、上手がパチンと石を打つと、あわててその石のそばに打つというものです。僕の父は違っていました。口攻撃があったのです。「ほれ、アタリ」「それ、アタリ」とアタリをする度に、僕に脅しをかけてくるのです。(アタリとは次に取られるということ)
子供の頃の僕は、取られるのがいやなので逃げます。しかし、「ほれ、アタリ」と言う声が止むことはなく、結局全部取られてしまうのです。いつの日か、父がそれの種明かしをしてくれました。それはシチョウという技だったのです。

2、長い長いその先には死が待っている − シチョウ

 アタリされて逃げると、またアタリそして最後に全て取られてしまう・・・これこそ僕が最初にやられた、そして覚えた技(シチョウ)でした。僕はこのシチョウという文字は「死長」と書くものだとずっと思っていました。逃げる長い先に待っているのは死だからです。しかし最近色々な雑誌などを読んでも、カタカナで「シチョウ」と書かれているものがほとんどです。
「シチョウ」がわからない人はここをクリックして下さい。父との対戦で、どこでこんな形になるのか?そんな空間はなかったはずなのに・・・
まあ、何はともあれ僕はこのシチョウで石を何回取られたかわかりません。途中からはこの形になった時点でもう諦めていました。そんなある日、僕は必殺技(シチョウやぶり)を発見したのです。これはこんな感じです。つまり、逃げ道のどこかに石(黒1)を置いておいて、シチョウで逃げる石がその最初から置いてあった石と合体すると、もう回りは両アタリの宝庫でウハウハ状態です。

僕はまず父にこの技を使いました。「あーあ、シチョウかもうあきらめた」と声に出しながら、気付かれないように盤上に石をおく場所を探します。この時はなるべく遠い方が良いです。近くに置くと気付かれる可能性があるのです。そして場所を発見して石を置きました。
すると、父は今から逃げ出そうとする僕の黒石を取ってしまいました。作戦失敗。やはり大人はだませないか、と思っていた僕に、「頭が動いていたよ」っと笑いながら言う父。僕は不覚にも石を打つ場所を探す際に、シチョウで逃げる石を追うように頭が動いてしまっていたのです。
頭を動かさずに目だけで石を打つ場所を発見しなければ、この技は見破られる。また一つ技に磨きがかかりました。

ある日、僕よりひとつ年下の同じ野球部のF君と碁を打ちました(二人とも同じぐらいの棋力で、僕の周りに子供で碁が打てるのは多分この2人だけだったと思う)。僕は、頭を動かさずに目だけで石を打つ場所を発見し、「あーあ、シチョウかもうあきらめた」と声に出して出しながら打ちました。必殺技(シチョウやぶり)。やりました。見事に彼はひっかかりました。
しかしこの技、あまりにも強烈すぎて1人に1回しか使えません

まだ実戦では1回しか使っていないこの技を、誰かに使いたいなーと思っている時、父の碁会所に遊びに行っていたときに一人の男の人が店に入ってきました。「あの、初めてなんですがよろしいですか。本でルールは覚えたのですが・・」と。「お前打ってみろ」という父に、僕はうなずきました。お互い「よろしくお願いします」で試合は始まりました。僕の頭の中には、必殺技(シチョウやぶり)をどこで出すかでいっぱいです。勝ち負けなんかもはや関係ありませんでした。そして、ついにその時がやってきました。僕の石がシチョウで取られそうになったのです。僕は緊張しながら、頭を動かさずに目だけで石を打つ場所を発見し、「あーあ、シチョウかもうあきらめた」と声に出して出しながら打ちました。必殺技(シチョウやぶり)!!
見事にひっかかりました。快感!快感!快感!大人の人をひっかけた。ワーイ!ワーイ!
そんな僕に「強いおぼっちゃんですね」と言って帰っていくおじさん。おじさんゴメンそんなつもりはなかったんだよ。おじさんの背中に僕は心から叫んでいました。おじさん、もう1回碁を打とうよ、と。もう、必殺技(シチョウやぶり)は使わないから。絶対約束するから!
だけど、そのおじさんは僕と一局打っただけで帰っていきました。そして二度と店に来ることはありませんでした。そして、僕も碁を打つのをやめました。この出来事が原因だったのか?いいえ違います。僕はその時小学5年生。そして、将来野球選手を目指していたからです。

3、2004年1月25日(日) 車から煙がモクモクと・・・

今日まで15連勝中(初めての対戦で11連勝中)で「全勝で月例リーグ勝率10割は今まで見たことがない」との近藤六段の言葉を思い出し、「あと9連勝で20勝0敗、これで前代未門の記録が生まれる」と考えながら僕は車で碁会所に向かっていました。
伏見通りを快調に飛ばし、100m道路を通りすぎ、金山を通りすぎたときに車に異変を感じました。「なんかいつもより煙がでているなー」と。その時すでに家からは6キロも走っており、もうエンジンも温まっていい頃なのに・・・信号で止まっていた僕が走り出した時、僕は理解しました。ボンネットから煙が出ていたのです。
その時脳裏に浮かんだのは去年の10月に、母の実家岡山へ行ってきたあとに友人達から言われた言葉です。
「よくあの車で行ったね」
「勇気あるね」
「最近エンジンかけた後、ガソリンくさい」という僕には「いつ火噴いてもおかしくない」
「高速を走行中に火を噴いたら事故になるぞ」
といった数々の言葉でした。
もしかしたら僕は今日、全勝でなくて全焼になるの・・・。

結局は、全勝も全焼もなく、僕はJAFのレッカー車で家まで運ばれました。2004年1月度に生まれるはずだった記録はこうして伝説となりました。

ところで、来月から再登場となる囲碁教室の今までの記録をここに書いておきます。碁会所での記録は膨大なのでまたいつか公開したいと思います

《段級別記録》

  • 4級→3級 8勝3敗 ×○×○×○○○○○○
  • 3級→2級 8勝0敗 ○○○○○○○○
  • 2級→1級 8勝1敗 ○○○○×○○○○
  • 1級→初段途中 9勝7敗 ○××××○○○○○○×○××○
  • 初段途中→初段 8勝2敗 ○○○×○○○○×○
  • 初段→二段途中 8勝2敗 ○○○○○○○××○
  • 二段途中→二段 12勝6敗 ×○○○×○×○×○××○○○○○○
  • 二段→三段途中 8勝4敗 ×○×○○○○×○×○○
  • 三段途中→三段昇段試験権利 8勝3敗 ×○○○○○×○○×○
  • 三段昇段試験 1敗 ×
  • 三段途中→三段昇段試験権利 7勝0敗(途中) ○○○○○○○

《年度別記録》

  • 1999年 勝率.500 2勝2敗 4級
  • 2000年 勝率.884 23勝3敗 3級→2級→1級
  • 2001年 勝率.742 23勝8敗 初段
  • 2002年 勝率.589 23勝13敗 二段
  • 2003年 勝率.813 13勝3敗 二段(三段試験での×含む)
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この「遥かなる五段(LiveDoorブログ編)ってほとんど中身がありません(特に後半)
碁の話より日常の事ばかり、それになんといっても更新の少なさ・・・
この期間、仕事が忙しかったのですが、言い訳が出来ないほどの少なさです。これを反省に次の日記書きます。
これは、ブログなので当然「コメント」を頂きましたが、それは載せていません。あしからず。次回は「コメント」もきっちり載せたいと考えていますので、ガンガン「コメント」をよろしくお願いします。


1.2004年9月4日:リニューアル

ホームページをリニューアルしました。
まだ一部未完成ですが、現在早急に作業中です。
今後もよろしくお願いします。
と、アップしようとしたら出来ませんでした。
さらに最悪なのが、昔のホームページを消したあとだったんです。
よって4日0時50分現在、ホームページは見ることは出来ません。
1時、ようやくアップ完了しました。
最初から冷や汗ものでした。

2.2004年9月5日:DR-MX1

DR-MX1は、日本ビクター製品のVHS&HDD&DVDレコーダーです。
色々な障害はでているのですが、まあ僕のところは大丈夫だろうと思っていました。確かに一部おかしなところがあり、メールでビクターに問合せをしたら「修理します」と返事があったのですが、僕はしっかりとマニュアルを隅々まで読んで対処方法を考えて使っていました。
そんな今日、バージョンアップのCDが届いたのです。
「ローディング表示が出続けて、操作が出来なくなる」障害に対応するバージョンアップです。
今までそんなことはないなあと思うも、とりあえずバージョンアップしようと電源をON・・・
なにも操作出来ません。
とりあえず電源フラグを抜いてまた差します。
ここでローディングが50秒ほど行われるのですが、これは故障でなくしっかりとマニュアルにも記述されています。
1分過ぎて・・・
5分過ぎて・・・
30分過ぎて・・・
これってさっき書いてあった「ローディング表示が出続けて、操作が出来なくなる」って事?
上の作業を今3回目を行っています。
操作が出来ないのにどうやって、バージョンアップをするのだろう?今日は寝られないかもしれません。

3.2004年9月6日:地震

今日は店で対局し、3勝4敗。
近藤六段・藤原五段・河野三段に勝ち、藤原七段・瀬口五段・真境名二段・鳥谷部二段に負けました。
注目に値するのは近藤六段に勝った一局。
彼自身の連勝を14でストップさせるとともに、僕への連勝(今年に入って1回も勝っていない)も5でストップ。
当然、今日のタイトルは「近藤六段連勝 ストップ!」になるはずでしたが、実は河野三段との対局中に大きな地震がおこりました。
すごい揺れで、これじゃあ東海囲碁サロンが倒壊囲碁サロンになっちゃうよー。
そして家に帰ってからまたまた大きな地震が・・・
僕が近藤六段に勝った事がまずかったのでしょうか?

4.2004年9月7日:台風

家が揺れているけど、地震で揺れているのか台風で揺れているのかよくわかりません。
今日は台風の影響で16時退社。その後囲碁教室にいったのですが、いつも60名ぐらいなのが18名でした。人数が少ないとのことで急遽、馬場九段が13面打ちで、鵜飼さんが5面打ちでの指導碁に。
僕は馬場九段に打っていただき負け。しかし、定石をひとつしっかりと頭にいれてきました。
井端のナイススライディングで喜び、揺れる部屋に怯えています。そして、今はその部屋で村上春樹新作の「アフターダーク」を読んでいます。

5.2004年9月11日:名人 川端康成

今日2冊の本を買ってきました。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)(下)」と「名人」です。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)(下)」は村上春樹の中で一番好きな本で、ハードカバーで持っているのですが、読みにくいので今回は文庫を買いました。なんだか今にピッタリといった感じです。
2冊目の「名人」は川端康成が書いている碁の本です。本因坊秀哉名人と大竹七段との勝負について書かれているそうです。なんと、この碁は名人が病気のため再三中断し、半年にわたって行われたそうです。読み終わったら感想を述べたいと思います。しかし、この本は字がすっごく小さいです。
あと、コメントを頂いているのですが、コメントに対してどのように返事を書くのかわからないので、ここに記述します。
まず、水谷さんへ
今度の知多囲碁祭りは僕は参加しませんが、当日はいきますのでそこでまた競馬の話でもしましょう。
次に、藤枝囲碁サロンの席主「だす」さんへ
鵜飼さんですが、大学は知りませんがもしかしたらそうかもしれません。今度聞いておきます。特徴として、対局中はポーカフェイスです。だから局後の検討で、「ここに打っておけばこれは黒勝ですよ」などど教えてもらうのですが、じゃあ少しは困った顔してよ、と言いたい気分です。
囲碁道場−日本棋院初級講座対局の2004年2月3日に打ったのが鵜飼さんとの対局です。よかったら見て下さい
。 今度、コメントにコメントする方法を覚えてきます。

6.2004年9月13日:知多囲碁まつり

今日知多囲碁まつりが開催されました。
日付が変わって実際には昨日になるのですが・・・
僕は東海囲碁サロンのメンバーは皆決勝戦に残っていると思い、あと弁当がないかなあと思い昼過ぎに見に行きました。
途中で会った、日本棋院中部総本部の水谷さんに「皆残っていますか?」と尋ねたところ、「斉藤さん。やばいですよ」との答え。
さっそくトーナメント表を見に行ったら、結構やばかったです。
最後までは見ませんでしたが、決勝進出された方が、都築五段、小島清四段、福井初段の3名でそのうち都築五段を除いて2名は決勝戦で敗れていました。
期待の浜六段、「やっぱり昨日3時まで栄で飲んでいたので今日はダメだ」とのコメントを頂きました。 もう一人、期待の近藤六段からはまだコメントを頂いていません。もしかしたらここにコメントを頂けるかな?詳しい成績は水谷さんに頂いてからUPする予定です。
あと一つ報告。
日本棋院中部総本部の水谷さん(自称六段)に三子で勝ちました。

7.2000年9月14日:六連勝中

今日囲碁教室でK五段に勝ち現在六連勝中です。
三段に昇段後は少し手こずり、○●●○○●●●○○●◎○○○○で最初の8勝に到達しました。 成績は現在の成績から8勝3敗でOKです。そしてこの◎は鵜飼八段、そうここでよく話題になっている彼に勝ってのものです。(鵜飼八段に勝つと○がふたつもらえる。よってこれで8勝3敗です)
今日の勝ちは2回目の8勝への第一歩です。今度8勝すると『打倒!裏野八段』こと、裏野八段との昇段試験です。
今日は馬場九段がお休みで、西本二段が講師でした。
いつも西本二段はむずかしいのですが、今回は非常によかったです。すごくためになりました。
だすさん、囲碁教室の方から教えて頂いたのですが、あの鵜飼さんはやっぱり、だすさんが思っている鵜飼さんのようですよ。
あと囲碁教室のOさん。メールありがとうございました。よかったらここにコメントもお願いします。

8.2004年9月19日:古田の涙 イチロー 点数制度

昨日の古田の涙には思わずもらい泣きしそうになりました。最近ああいうのには非常に弱いです。
もっとOBの人達が行動を起こさなくてはダメだと思います。しかし、ここで目立っては監督とかコーチの職がなくなるかもしれませんが・・・
野球の話題であと一つ気になるのは、イチローの記録です。残り15試合で22本。仮に1試合4打席あるとしたら、22/60で.367のペースで打たなきゃならない。けっこうきつそうですが是非がんばって欲しいと思います。 ところで以前テレビでイチローのインタビューを見たのですが、なんとイチローは碁を打つそうです。子供の頃チチローから教わったそうな。店にぶらっとこないかなー。
そして、今僕は来月からの点数制度の準備に追われています。点数の分配等は一度近藤六段などに相談しようと思っています。
先日買った『名人』読み終わりました。
内容はまあまあって感じです。せめて、しおりが棋譜だったら良いと思い今度棋譜をUPします。もしよかったら印刷してしおり代わりに使用してください。
今回本を読んで感じたのですが、以前は一度本を読み出すと最後まで一気に読むのですが、今回は途中で眠たくなり寝ちゃいました。体力作りも僕の今後のテーマになりそうです。

9.2000年9月22日:6連勝でSTOP

今日久しぶりに敗れました。
相手はあの鵜飼八段です。んー、これで鵜飼八段には1勝4敗です。そろそろ対策をたてないといけません。 また、近藤六段の『囲碁道場』で勉強です。
今、名局再現−名古屋タイムズ杯を作成していますが、結構時間がかかっています。途中報告しますと、近藤六段4局、瀬口五段4局、藤原七段2局、小島清四段1局、竹内七段1局が終わっています。あと竹内七段の2局を残すのみ。多分今月中にはUP出来ると思います。

10.2004年9月29日:中日ドラゴンズM1

今日は雨で試合が中止になったけどもう中日の優勝は決まったも同然です。僕はまだ見たことがない日本一になって欲しいと思っています。
イチロー選手も「やばいんじゃないか」とここに書いたあと固め撃ちで記録が達成しそうです。
パリーグは今年から変則的なプレーオフがありますが、日本ハムが優勝したらダイエーファンはたまらないでしょうね。
僕が思うに現在の12球団を3リーグに分割して各リーグ優勝チームと2位から一番勝率が良い1チームの4チームでプレーオフをすれば良いのではないでしょうか。
当然リーグにまたがる交流試合も行うわけですが、このようにすればこれからある程度球団が増えても対応可能だと思います。
昨日は仕事が忙しく囲碁教室へは行けませんでした。
HPの更新がないのですが、現在「名古屋タイムズ杯」を作成中です。
これは一対局でだいたい10棋譜あり、また変化図やら解説などがあるため、非常に時間がかかっています。 あまり時間がかかるようであれば、「囲碁道場」の更新を先に行うかもしれません。

11.2004年10月5日:また野球話

ドラゴンズが優勝。そしてイチローが新記録と全て良いことばかり。
碁については何も話題がなく少しさびしい日々です。
ついに日曜日から点数制を導入しました。
といっても、その日は親戚の葬式で僕は何もせず、花井さんが店番をやりました。
帰りに店に寄ると「こりゃあ大変。打つ暇もないよ」とこぼしていましたが、まあ別に僕達が打たなくても良いとは思いました。もしかして、花井さんずっと碁を打っていてみんなの成績つけ忘れてたの?(笑)
今度は僕が店番を行うので、どんな感じか楽しみです。

12.2004年10月8日:世界の中心で、愛をさけぶ

ずっと前から話題の本を読みました。
この中で、こんな場面がありました。
「いくら実感がなくたって、いつかそういう日が来るよ」
「それならそれでいいじゃない」
アキに言われると、それならそれでいいような気もした。
「ずっと先のことを、いまから考えてもしょうがないわ」
「十年後のことなんだけどね」
「わたしたちニ十五歳ね」アキは遠い目をして、「でも、それまでにどうなるかわからないもの、松本君もわたしも」
ちょっとまった。10年後に25歳。うらやましい。
みんな涙を流しながら読む本のなかで一番印象に残ったのがこんな箇所で申し訳ありません。だけど、くどいようだけど10年たってまだ25だよ。
この場面が結構前半にあって、後の話はあまり身に入りませんでした。
この本を読み終わってから僕は急に高校一年生に戻りたいと強く感じ、周りの人にも「もし、今の記憶を持って過去に戻れるとしたら、いつに戻りたい?」と聞きまくっています。
今のところ、
幼稚園    1名
小学校6年生 1名
高校1年生  2名
大学1年生  2名
25歳    2名
という結果です。
僕はてっきりみんな高校生ぐらいを選ぶと思っていたのですが・・・25歳を選んだ人、あの楽しい学生生活をもう一度味あわなくて良いのでしょうか?
そういえば碁でもありますね。待った待ったしてあそまで戻れたらってのが。でも逆にどこまで戻っても勝てないだろうなってのもあります。
この質問もう少し続けてみようと思います。

13.2004年10月12日:点数制度

10月3日から点数制度を導入したのですが、僕は今週から初めてその制度で店番をしました。はっきりいってシンドイです。僕自身が打つ時間はあまりありません。あったとしても注意力散漫です。
特に日曜日・祝日は三連勝大会を行っているため、対局後の成績は@月例リーグ戦A三連勝大会用紙B点数制度カードの、3つに記入する必要があります。
しかし、お客さんは結構点数制度を楽しんでいるようで、中には1週間で40局ちかく対局を行っているお客さんもお見えになりました。
そんな中、今日の僕の成績は●●●○○○●と点数を1点下げてしまいました。
多分、慣れだけの問題とは思いますが。

14.2004年10月16日:馬場滋九段指導碁決定

馬場滋九段の指導碁の日が決定しました。
11月23日(火)祝日です。
現在店で受付中です。人数が多い場合は会員の方優先とさせていただきます。
ついに、名古屋タイムズ杯が完成しました。
最後の竹内七段の決勝戦がないのがとても残念ですが・・・
一ヶ月ぐらいかかった力作ですので是非ご覧下さい。
さあ、明日からはいよいよ日本シリーズです。

15.2004年10月25日:中日、日本一逃す

50年ぶりの日本一にはなれませんでした。残念。
でも今年の日本シリーズは面白かったです。
シリーズ3勝は生まれて初めての経験でした。
でも一番悔しいのはダイエーファンかもしれません。
しかし、今年は補強なしでやってきた落合ドラゴンズですが、このシリーズの負けで大補強の予感です。どんなものでも、負けから学ぶものは多いはずです。
落合監督も「今年うちはこの野球でしか勝てませんから」とよく言っており、この「今年は」という意味はじゃあ来年は違うんだと感じさせます。
西武の松阪、カブレラ級の選手が欲しいです。
Yahoo掲示版に載っていたのですが 「日本一を宣言した落合監督が優勝を逃したら、これって最近はやりのオレオレ詐欺になりませんか?」には笑えました。

16.2004年11月19日:職場が変わりました

8年ほど同じ場所働いていたのですが、10日から職場がかわりました。
といっても11日から次の場所で働いているわけではないのですが・・・
今まで色々お世話になり大変ありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。・・・というのも
20日までと勘違いしており、結構色々な人達にお別れの挨拶を言い忘れてしまったのです。
またこの日記に早く載せようとしたのですが、その際にRCサクセションの『よそもの』の歌詞を載せようと思って色々CD屋さんをまわったのですが、そのCDはどこにもありませんでした。
それで今回は僕からお世話になった皆さんへ送る歌はなしです。また今度見つけたら載せます。
ということで、僕は11日から浮雲ています。
明日からはしばらく、タイトル『囲碁日記』−副題『浮雲日記』−で開始です。

17.2004年11月21日:浮雲生活 その1

結構忙しい日々です。
今までやってきたことは
1、毎日ジムで3時間の運動
2、インフルエンザの予防接種
3、免許書換
4、読書(樅の木は残った(上)(中)(下))
    (坂の上の雲(1)〜
5、.NETでの棋譜作成プログラムの作成中
などです。
まだまだやらねばならぬ事は多くて
・根本的掃除
・青色申告準備
・年賀状準備
などです。
なかなか休む暇はありません。

18.2004年11月23日:指導碁

今日は馬場九段の指導碁の日でした。
そこで僕は歴史的な1歩を刻みました。なんと5子で勝ったのです。
碁を勉強しだしてから5年。確実に上手になっているではありませんか!!
気分よくした僕は、2度目の指導碁に挑戦。
途中まで「間違いなし」との馬場九段のコメントでしたが、最後に敗着を打ち中押し負け。やはりうまくいきません。
その後の囲碁教室では、鵜飼八段と対戦。
5子で4目負け。
今日勝てば8勝1敗で四段昇段試験だったのですが、これで成績は6勝2敗とヤバイことになりました。そして何とその2敗はいずれも鵜飼八段に敗れたものです。
鵜飼八段。何と大きな壁でしょうか。
いずれの棋譜も載せる予定ですので。誰か僕に『打倒!鵜飼八段』のヒントを下さい。

19.2004年11月30日:浮雲生活 その2

浮雲生活 その1、その2と続くはずだったのすが、12月2日より昔の生活に戻ります。
あれからの僕は、あいかわらずジムに通い続け、
ウォーキング 20分 カーフレイズ 12×2セット
フロントランジ 12×2セット ダーベルチェスプラス 12×2セット
ワンハンドロウ 12×2セット サイドレイズ 12×2セット
バックアブドミナル 12×2セット クラッチ 12×2セット
エアロバイク 60分
をこなしています。
そして、
『筋肉が成長する過程は人間そのものが成長する過程によく似ていた。まず最初に痛めつける。次にその痛さがやわらぐまで休む。この作業を繰返すことにより、筋肉は確実に成長してゆく』
といったハードボイルドな名文?まで浮かびました。
徳川園へもいってきました。
徳川園は小学生のころ、学校にプールがなかったので徳川のプールまで通っていたのですが、今年日本庭園として開園されることになったそうで、夕方からライトアップされた夕刻までのんびり散歩してきました。
日曜日は『土川賞重賞記念 馬場滋九段を祝う会』に出席させて頂き、その帰りは、昔芥川賞候補になられたAさん宅で碁を打ちました。
ずっと浮雲生活を続けていたいのですが、残念ながらお金がもちません。

20.2004年12月6日:日本棋院ネット対局

最近、日本棋院ネット対局をやっています。
今年いっぱいは無料で、来年からお金がかかるのですが、安いと良いです。とても操作性などよく対局者も多いです。どんどん対局を申し込まれます。
最初、中国の初段の方と互戦で負けて。あっというまに3連敗しました。
「やっぱり三段での登録は無理だったのか・・・」と思ったのですが、そのあと勝星が増え、4勝5敗まで成績を戻しました。
「三段でもけっこう打てるよ」という僕に、「普通ひとつぐらい落として皆さん登録されますよ。知っている方は負けがこんで一段下がったと聞きましたよ」と、日本棋院の水谷さん。
これに気を良くしたとたんに、7連敗です。
現在の成績は、4勝12敗。もうダメポって感じです。
ところで、今度の職場も良い人ばかりで、以前書いたとおり『よそ者』を、前にお世話になった人達、これからお世話になる人達にささげます。

   『よそ者』

俺たち よそ者 何処に行ったって
だからさ そんなに 親切にしてくれなくてもいいのに
いつの日 どこかに 落ち着くことができる
そんな夢を見ながら今夜 ここで 踊るだけでいいのに
 踊れば揺れる 胸に降る かなしさ
 どのくらいかなんて おいら知らない
 けむる 港町
港の見える店 遠くに浮かぶ あんな船に乗れたら
すぐにおまえを さらってっちまう
 踊れば揺れる 胸に降る かなしさ
 どのくらいかなんて おいら知らない
 けむる 港町
最後のバラードまで そばにいてくれる
ほんとさ それだけで感謝してる Oh Baby
心から

21.2004年12月8日:四段昇段試験

昨日、囲碁教室で勝ち、8勝2敗。
三段昇段後、2回目の8勝なので、来週四段昇段試験です。
ところで、先日の第36回日本棋院支部対抗戦の詳細結果をもらったのでここに記載します。
1回戦 西三岡崎支部A 1勝2敗
2回戦 半田支部    3勝
3回戦 常滑支部    3勝
4回戦 知多支部    1勝2敗
優勝は、西三岡崎支部Aだったのですが、この中で浜さんが半目負けだったそうです。これに勝っていれば優勝でした。浜さんはこの半目負けを含めて3勝1敗という好成績。藤原主将も西三岡崎支部Aの主将対決を制したり、都築さんは半田支部の片岡さんに互戦で勝つという、3名ともすごい成績でした。
参加してくださった支部のメンバーの方々、本当にありがとうございました。
この勢いをかって、来週裏野八段に挑戦します。

22.2004年12月15日:リベンジは来年

投げました
完敗です。
でも人生を投げたわけではありません。
今日の裏野八段との対局の話です。
今日勝てば一年に2段階の昇段だったのですが、来年にとっておきます。
今年の中日ドラゴンズのように・・・
ところで、今度の新しい職場で僕は本当のサムライに出会いました。
彼は新陰流の二段です。
仕事さぼったら斬られそうです。
彼に侍魂を叩き込んでもらおうと思っています。

23.2004年12月17日:〜 刀 〜 侍魂入魂その1

侍にとって欠かせないものは刀である。
碁と刀と何が関係があるのかと問われるかも知れないが何事にも学ぶところはあるものだ。
刀には大まかに2種類、太刀と打刀とがある。
これはそれぞれ、『たち』『うちがたな』と呼ぶ。
時代でいうと鎌倉から江戸初期までは、太刀。
それ以降は、打刀だ。
鎌倉時代までは騎馬戦が多くその場合に、太刀が用いられた。
長さは打刀より長く、馬上の武者たちは腰にベルトのようなものを巻き、チェーンのわっか二つでその太刀をぶら下げている。
その時の刃は下に向けられ、馬上から下にいる敵に対して実用的になっていた。
打刀はよくテレビに時代劇で侍が腰にしている刀である。
その刀の刃は上に向けられる。そのため当然鞘は当然下に反っているのである。
剣を抜く時は、手首をぐっと下に抑えて抜き、そのまま相手を斬れるように考えられていたのだ。
このあたりで『へえー』って思いませんでしたか?
僕は刀の刃は下向きだとずっと思っていました。
僕は最近は会社のサムライの話を聞き『へえー』ばかりの毎日です。
また、柳生新陰流では、打刀を抜く際に、とっさに刃の上下を左手で代えてから抜く技があるそうな。これは刃を下向きにし、下から上に向かって切りつける時に使うそうだ。

24.2004年12月26日:メリークリスマス

メリークリスマス
って
カーナビに言われた

25.2004年12月29日:〜 侍の定義 〜 侍魂入魂その2

最近よくニセモノの侍がいる。
ここで本来の侍というものについて考えたい。
以下は司馬遼太郎『人間というもの』の中で語られていることである。

 小さな躾でいえば、侍は雨が降っても走らない。そして道の真ん中を歩く。雨に濡れないように軒先を歩くのは、見ていても浅ましいものでしょう。曲がり角など、直角に曲がるそうですな。直角に曲がるのが侍というものなんです。
 ぼくらはちょっとでも早道をしようと、角のほうをさっと曲がりますけれど、侍はそれをしない。・・・

これが本来の侍の姿だそうです。
そして私の職場の侍ですが、
  彼は
    日に缶コーヒーを5、6本飲み(それもブラックでない)
    煙草を2箱吸う(それも軽い煙草)
    昼食は少食
    皆と同じようにコートを着てきたりする
  これが、現代の侍なのか・・・
しかし、彼の体脂肪率は8%(イチローなみ)
そして、今日のメールに書かれた文字『小職を含め・・・』
『小職』????
これどういう意味かわかりますか
『自分』という意味だそうです。
そう、職場の侍は、難しい漢字を良く知っていた。
さすが、侍。

26.2005年1月6日:あけましておめでとうございます

って
カーナビが言った。
なんて、クリスマスと同じかよ・・・
でも、三が日までカーナビは『あけましておめでとうございます』を言い続けていました。
僕はもう4日から会社に出勤。
8時45分。まるで最近はゴルゴ13みたいに時間ピッタリと出勤です。
(劇中で依頼者が『ゴルゴのやつ怖じ気づいたか』と時計に目をやると、後ろから煙草の煙が・・・。いつの間にかゴルゴ13が壁にもたれて煙草を吸っている)
だけど、その日は10分たっても20分たっても誰もこない・・・
もしかして、今日休み?
と思ったら1人2人とぞろぞろ出勤してきました。
しかし肝心のドアがロックされていて開かない。
結局、ドアが開いたのは9時40分。
その日は、毎日ドアを開ける僕よりもゴルゴ13にちかい総務の女の子が休んでいたのでした。
そして、その日はいきなり出張です。
はじめて、名古屋のツインタワーのオフィスタワーにいってきました。
ここには、いきなりエレベータ奥にコンビニがあり、とてもツインタワーのイメージではありませんでした。しかも、喫煙できる場所が15階に少ししかなく、煙草を吸うために、毎回エレベータで27階も下がって吸いにいきました。
しかし、エレベータの速さはすごいです。あっという間に着きます。
これで1階から最上階までいくと、まるで『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』に出てくるエレベータみたいです。
一度、ここで地震を体験してみたいです。
大きな地震でなく、軽い震度2ぐらいなのを・・・どれぐらい揺れるんでしょうか?

27.2005年1月13日:白星発進

昨日は今年最初の囲碁教室。
無難なく勝ち、2005年は白星スタートをきりました。
これで、教室の人達との成績は13連勝中です。
誰が僕の行く手を阻むことやら。
これで、八段の二人、鵜飼君と裏野さんを倒せば向かうところ敵なしってとこですが・・・
日本棋院のインターネット対局を早々と申し込みました。
しかし、ここでの成績は散々です。二度の7連敗で、三段で登録した僕は初段まで落ちてしまいました。
店のお客さんにもここを薦めており、みんなのペンネームでもまた公開しようかと思っています。
新潮文庫の『文豪ナビ 三島由紀夫』を読みました。
彼は、僕の誕生日に自殺した人で、なんだか昔から気になっていたのです。
今度『憂国』を買おうかと思っています。
しかし、僕の家にはまだ読んでいない本がたくさん残っています。
以前ここで、だすさんから紹介された本は全て買ったのですが、まだ読んでいません。
寒い日が続きます。
みなさん凍らないように気をつけて下さい。

28.2005年1月18日:訪中 〜 侍魂入魂 番外編 〜

侍は今日から1週間中国に行っています
現代の侍は、中国に出張しちゃうんです。
行く前、会社の中国の人と昼食を共にした時、
「昔、中国の映画を見て少し中国語を覚えているんですよ」と
彼が「シャー、シャー」と猫が威嚇するような声を出した。
「どういう意味なの?」という僕に
「『殺せ、殺せ』という意味だよ」と教えてくれました。
恐ろしき侍です。
その言葉を吐きながら、中国に行ったのでしょうか?
今回侍が行くところは、最低気温が-20度の寒さだそうです。
しかし、それに対しては
「大学で山に登ったときは、-20度のところでテントを張って寝た」
と、平然と言い切っていました。
すごい体力。
最近体力が落ちている僕は、今日の囲碁教室で、裏野八段にまた負け。(今日は試験碁でなく、他の人が打つ横で助っ人で参加)
たまたま、今日の囲碁教室での教材が、この前負けた僕の試験碁でした。
ここで、結構勉強して臨んだのですが・・・
これで、八段格との対局は4連敗です。

29.2005年1月21日:〜 普及活動 〜 侍魂入魂 番外編

この前のこのBlogについに侍からコメント頂きました
コメントは以下
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中国では、欧米諸国ほど「侍」は膾炙していないようです。
現在、折に触れて普及活動中。
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侍はぐだぐだ書かない。2行のコメント。
それにしても『普及活動中』とは・・・
多分彼は仕事はそっちのけで毎朝、皆が太極拳をやっている横で剣を振っているのでしょう。
それからまた出た、難しい漢字。
『膾炙』ってとても書けません。多分、普及という意味だと思うのですが、これ中国語に文字化けしているのでしょうか?
僕は、第127回直木賞受賞作『生きる』(乙川優三郎)を読みました。
紹介文はこんな感じで書かれていました

 生きれば
 生きるほど
 恥辱に塗れ、
 醜態をさらす日々

 亡き藩主への忠誠を示す「追腹」を禁じられ、生き続けるを得ない初老の武士。周囲の冷たい視線、嫁いだ娘からの義絶、そして息子の決意の行動− 惑乱と懊悩の果て、失意の底から立ち上がる人間の強さを格調高く描いて感動を呼んだ直木賞受賞作
これも難しい漢字ばかりです。
良かったら読んでください。

この本の中で『武士』を、「もののふ」と言っていたけどどうしてだろう?
あの『もののけ姫』と何か関係があるのだろうか?
帰ってきたら侍に聞こう。

30.2005年1月28日:〜 帰国 〜 侍魂入魂番外編

侍が無事帰国しました
色々話を聞きました。その中から二つ
【その一】
中国でマクドナルドに入ったそうです
中国でしか販売されていないのを頼もうと
メニューを指で指して注文
そして出てきたものは
おもちゃ付きのハッピーセット
そのおもちゃを中国のお土産に家に持って帰ったそうです
【その二】
中国は煙草が吸い放題で、お店などは吸殻を地面に捨てるそうです
侍はヘビースモーカーなのであちこちで吸い地面に吸殻を捨て続けていました
日曜日、北京に遊びにいき、天安門で煙草を吸い地面に捨てました
それを見たガイドさんが慌てて
「見つかったら連行されます」と叫んだそうです。
天安門は入り口に銃を持った人が警護していて
もしそこで見つかっていたら、侍は撃たれていたかもしれません

話はかわりますが、3月にもしかしたら僕も中国に行くことになるかもしれません。碁の発祥地である中国についに足を踏み入れる時が・・・
とても楽しみです。

31.2004年12月26日:メリークリスマス

メリークリスマス
って
カーナビに言われた

32.2005年1月31日:森君

囲碁をやっていて愛知県の森君のこと知らない人はいないと思うけど、囲碁を知らない人に少し説明します。
本当は森君なんて気安く声をかけて良いのかどうかもわからないのですが、「森さん」「森先生」などがふさわしいのかもいれないのだけど、あえて森君と言わせてもらいます。だって実は森君って面白いキャラの感じがするんです。
野球にたとえると、昔怪物と呼ばれていた江川、平成の怪物と呼ばれる松阪に匹敵する人物で、アマチュア戦の愛知県代表はほぼ毎回彼が制します。アマチュア本因坊では全国ベスト4にもなった人です。
どうして、そんな彼のことを説明するかというと、昨日の馬場九段の指導碁に彼がきたのです。
これはまた、野球でたとえると、あのゴジラ松井が町のバッティングセンターにくるようなものです。
はじめ、「結構若い人だ。はじめて見る人だな」と思っていたら、花井さんが「森君、森君」とニコニコしていました。
彼がうわさの森君かと思っていたら、いきなり他の人の碁盤をのぞき「白いっぱいに頑張っていますけど、そんなに儲けていませんよねー」とボソっと。
「すっげー、プロの手にコメントだぜ」と思っていると、他の碁盤の検討場面では、「ここはのぞきですよ。これで白死んでませんか?」と。
さすが、口だけの僕と違い、実力があるとその言葉にも重みがあります。
そして、いよいよ馬場九段との対戦。
対戦では、森君いきなり正座していました。すぐあぐらをかく僕と違いさすがと思っていたら、途中で足が痛くなったのかあぐらに・・・
森君、とても庶民的です。
結果は内緒です。今度指導碁のコーナーに載せようと思っています。
あまり会話はしていないけど、森君とても面白そうです。
今度彼が、大会に出るときは注目し、そして応援しようかと思っています。
しかし、彼が時々東海囲碁サロンに足を運ぶということは、後継者として僕を選んだのでしょうかね。たわごとでした。

33.2005年2月4日:三段から1級へ

日本棋院ネット対局で
   三 段
    ↓
   二 段
    ↓
   初 段
    ↓
   1 級
まで落ちました。
ただいま絶不調です。
昨日は9級と名乗る人に中押しで敗れ、
「悲惨、悲惨、悲惨・・・
 碁は1目を争うゲームなのに・・・
 こいつは7級ぐらいの力がない・・・」
と散々に言われました。
多分、彼の成績は100勝1敗ぐらいだったので、アラシと思われるのですが、彼の言葉に納得するしかない僕はとても惨めでした。
今度、山本周五郎の本を読んで思いっきり泣こうかと思います。
話は変わりますが、会社で席替えがあり、侍が僕の前にきました。
「スキがあったら、打ち込んで良いですか」という僕に
「鍋蓋で受けます」と彼が答えました。
まだ、彼にはスキがありません。

34.2005年2月14日:風邪ひいちゃって

調子が悪い。
店も休んだし、火曜日の囲碁教室も休もうかと思っています。
もう、治ってきたのですが、皆にうつさないように・・・
みんな、高齢者の方が多いので・・・

35.2005年2月17日:青色申告

今日青色申告に行ってきました。
そして、毎年そうなんですが、
人間ドックも今日済ませました。
昔は誕生日の前後に人間ドックに行っていたのですが、青色申告で仕事を休むので、最近は同じ日に両方行うようにしています。
人間ドックは以下の全てのオプションを毎年やっています。
・骨密度
・前立腺ガン検査
・負荷心電図
けっこう病院嫌いの人が回りに多いけれど、自分ひとりで悩むなら早く検査した方が良いと思います。早期発見、早期治療が大事だと思います。
父は肝臓ガンでなくなったのですが、会社勤め時代は一年に1回健康診断があったのですが、碁会所だけをはじめてから健康診断をやっていなかったのがマズカッタんじゃないかと今は思います。
やはりある病気になるのは、遺伝も影響していると思うので、自分の代で全ての悪い遺伝をなくす覚悟で生活しています。
あとは、中国行きの準備です。
中国行きは3月に2週間程と決定しました。
その時は、PCを持ち込み、この囲碁日記だけでも更新出来ると良いなーと考えています。

36.2005年2月28日:森君 まず1勝

今日、「週間碁」を見ていたら、
何かの大会で森君が勝っていました。
それもプロ棋士にです。
アマチュアとプロの混合戦みたいで、大会名がわかったら教えて下さい。→水谷さん
色々なところを見たのですが、情報がありません。
棋譜が残っていると良いのですが・・・
今、中国行きの準備で忙しく、なかなか更新できません。
旅行カバンは買いました。パスポートも明日取ってくる予定です。
話は変わりますが、
武豊が重賞200勝しましたが、199勝目のライラプス、200勝目のビッグプラネットいずれも僕のPOG馬です。今年は1位になれるかもしれません。

37.2005年3月14日:in 天津 6日目

ニーハオ
今、中国の天津にいます。
3月8日から着ていたのですが、仕事が忙しく、今日やっとホテルでインターネットの動作環境が終わりました。
出発はあのセントレア(中部国際空港)です。
皆さん名鉄電車に乗ってセントレアに行く時は、左側をよく注意してください。
小さなミステリーサークルが三つあります。
中国語基礎をいきなり持ってくるのを忘れたのですが・・・
中国は最高ですね。
覚えた言葉は、
ニーハオ(こんにちは)
ニーメンハオ(多くの人にこんにちは)
ワイシャンハオ(こんばんは)
トイプチ(ごめんさい)
です。
ホテルはVIPルーム。
今度からは中国の事を語ります。

38.2005年3月16日:in 天津 8日目

天津で最初にびっくりしたのが、道路事情です。
ここは日本と違って車は右側を通ります。
道路は大きな道が三車線、四車線あるのですが、信号の数がほとんどありません。
信号は基本的に、直進と左折の記号があり、それが青→だいだい→赤 と変わります。右折はいつでもOKって感じです。
日本では信号は基本的に東西、南北同時に変わるますが、ここ天津では片方ずつかわります。よって人々は道の半分までゆき、そこでもう片方の信号が変わるのを待ちます。
そして、この交通ルールをさらに複雑にしているのが
皆信号を守らない人が多いということです。
会社からホテルまでタクシーで帰るとき、道の真ん中で車をやりすごしている人が急に視界にあらわれ、どきっとすることが何回かありました。
また車が走っている道の真ん中を渡るこつは、走らずに歩くことだそうです。
車は人が歩いてゆくのを予想して運転するため、急に走り出したりしたら、逆にあぶないそうです。
次回は食について話そうと思います。
毎日がおいしい中華料理三昧です。

39.2005年3月21日:in 天津 最終日

最終日はとっくに過ぎてもう日本に帰ってはいるのですが・・・
今回は食について
とても美味しかったです。
ピータン豆腐・・・これは冷奴に角切りのピータンが乗っているのですが、なんと味付けが塩です。日本では冷奴は醤油かポン酢ぐらいかと思いますが、塩ときたかって感じです。しかしこれが美味しい。今度冷奴に塩かけて食べようかと思います。
ban hai zu・・・くらげときゅうりの千切りサラダ。
chou ien pai ku・・・豚肉の骨付きから揚げ。味は塩こしょう。
このような美味しい料理を、6人ぐらいで囲んでいるテーブルに運ばれてきます。6名なら、6品+スープで量は十分です。
最初は食べ終わった後に、皆でいくらか当てるゲームをしていました。そして一番ハズレた人が「罰ゲーム」で食費を払うのです。だいたいこれらの料理を食べて全部で150元ぐらいです。これは日本円に直すと約1800円。なんとリーゾナブル。
そして、僕はこの旅行中はじめて「虫」を食べました。 バッタのような形で揚げてあり、味はえびのようでした。いなごかなとも思いますが、この料理が一番料金が高かったです。
今度は3月29日にまた出発です。
今度はコートがいらない、一年間で一番良い季節だそうです。
碁はまったく打っていません。大丈夫でしょうか・・・

40.2005年3月28日:再び 天津へ

明日からまた天津に行きます
今度は一人での出張です。
少し不安・・・一人でそんな遠いところへ今まで行ったことがありません。
ここで、前回の in 天津番外編です
@ 天津の会社に着いてから、3Fまでエレベータで上がってゆき、扉が開くとそこには
卓球台 がありました。
休憩時間になると、ここで皆さんストレス解消をします。
みんな結構うまくて、彼らは玉をストレートには打ちません。なんらかのヒネリがはいります。
A前回はサムライと日程が重なり、夕日を見ながら二人で煙草を吸っていました。
太陽は最初ビルの上にあったのですが、次第にビルに隠れ夕闇が訪れると僕達は思っていました。
すると
太陽はそのビルの横から登場!
太陽がナナメに沈むのを初めて見た、僕達は大感激でした。
煙草を2本吸う間に・・・中国では太陽の動きがとても早いです。
明日からは何に感動するのでしょうか?

41.2005年5月10日:お久しぶりです

ずっとサボっていたわけではないのですが
仕事 と 引越し が忙しくて何も更新していませんでした。
今日はとりあえず これだけ書きます。
今、知多地方団体戦の選考を行っています。
この大会、東海中央支部が数年勝ち続けているという
相性が良い大会です。

42.2005年5月26日:水谷さん!!

今年のPOG1位指名は何ですか?
あと、有力候補も教えて下さい!!

43.2005年6月13日:羽根直樹棋聖祝賀会

今日、羽根直樹棋聖祝賀会 に行ってきました。
ひさしぶりに碁を打ちました
それも指導碁
ダブルスコアで完敗でした
ひさしぶりで
投げることも
できませんでした
少し情けない。

44.2005年8月14日:今日から更新開始

ずっとさぼっていたHPの更新を今日から始めます
まずは、ずっと前に近藤六段から送って頂いた2005年知多地方団体戦の成績をUPしました。
以下は近藤六段からの当日のコメントです。
「支部対抗戦は東海中央支部が決勝で半田支部に勝ち4年連続優勝しました。 スコアは全て3-2という、薄氷の優勝でした。 つまり4回戦までで12勝8敗、ということです。 あまりにぎりぎりで無駄なく優勝したので、3位の知多に勝ち数では優勝チームが負けるということになってしまいました(知多は13勝7敗)。 うちがうまく3-2続きで勝ったのはやはりチームワークの良さ??? 誰かが負けても誰かがうまく補う、という感じで…。 決勝の半田支部戦でも例によって藤原さん、私の頭二人が負けるといううちのお家芸(?)がありましたが、土曜日の碁会所から9連敗中の深谷さんがここで勝って優勝に貢献するところなど、まさにバランスがいいというかなんというか…。」
ひとつも無駄な勝ち星はなし。全員での勝利。
明日は会員成績の更新です。時間はかなり遅くなりそうですが・・・

45.2005年8月21日:因果倶時

いんがぐじ って呼びます。
意味は「原因が生じた瞬間には結果もそこに生じている」ということらしいです。
蓮の花が咲く瞬間を見ると、この意味に納得するそうです。
この意味も奥深そうだし、蓮の花が咲く瞬間も見たくなりました。

46.2005年9月30日:阪神優勝

もうどれだけ勝っても
どれだけ連勝しても
中日の優勝はないんだね
「たられば」は毎年この時期に実感するんだけど
なかなか実生活には生かしきれない
最近は日向さんに勧められた
「蒼穹の昴」を筆頭に浅田次郎の本をたくさん読んでいます
今日はサムライの義弟が号泣した「壬生義士伝」(上)を読み終わりました
どこで号泣したかまだわかりませんが、こんな場面がありました。
「池田---」
「はい」
「おまえはなかなか見所のあるやつだな」
「は・・・」
「他人の痛みをわかろうとしている。それは武士として大切なことだ。そういう侍がいなくなったから、世の中はこんなことになった。おまえもきっと傷ついたときには、痛いとも苦しいとも言わぬだろうな」
近藤勇の武士道とはそういうものでした。理屈じゃなかった。他人の痛みはわかってやりながら、自分の痛みはけっして他人に悟らせようとはしない。・・・

明日から「壬生義士伝」(下)を読みます。

47.2005年10月4日:来月!四段昇段試験です

今日は
体調が悪く、雨が降っていたのですが、今月から囲碁教室復帰と考えていたので、行きました。
空白期間は5ヶ月。成績は7勝3敗のままでした。
今日の相手は苦手な方で、成績上位3位にランクされている方でした。
いくら2子のハンディ戦といっても、きついなー、と思っていました。
対局後、並べると52目と50目でなんと勝っていました。
ということで、来月四段昇段試験です。
「打倒!裏野八段」がやっと更新されます。
来月まであまり時間がありません。
それまでに、「来週の馬場九段の指導碁」と「友遊くらぶの囲碁ゼミナール」があります。
ここで昔のカンを取り戻し、かつ向上しないといけません。

48.2005年10月5日:THE 詰碁

オススメに「THE 詰碁」をリンクしたのですが、
ここのHPは僕が作っています。
色々なところからリンクしたいのでこのような形にしました。
今は50問あります。
詰碁問題でギネスに挑戦します。

49.2005年10月6日:車内立てこもり事件

夜中の12時過ぎからなんだか外がやかましい
喧嘩かと思って、ベランダに出たら
一台の車の周りに警察官が6名ほどいて
「窓を開けろ」と怒鳴っていた
車は縦長の駐車場の入り口近くに止まっており、車を出して帰ろうという人や、野次馬などで人だかりが出来ていた
俺は「事件か?」とわくわくしながら、煙草に火をつけてベランダから高みの見物
写真を撮ろうかと思ったけど、ここでフラッシュ付けたら逮捕されるのではと、思いとどまった
数十分しても車内からは人は出てこなくて、新たに別の警察官2名が車の窓ガラスを割るものを持って登場した。
窓ガラスを割るのかと思った時、車のドアが開き警察官が乗り込んだ
後の座席にも警察官が乗り込みそのまま去っていきました。
駐車場に止めていた人たちも精算を行い4台ほど駐車場から出て行き、野次馬たちも引き上げかけていた時
一人のキャバクラ嬢が
「皆さんおさがわせしました。1時から隣のビル7階でショーがはじまります。よろしくお願いします」と挨拶した
なかなか粋な女だ
この街、なかなか俺を眠らせてくれない

50.2005年10月8日:自転車を買いました

自転車に乗ろうとしたらパンクしてて
ネットで自転車屋さんを探したけど見つからず
今年に入って2回目のパンクだし、
1週間に2回はチェーンがはずれるし、
そのためにいつも軍手を持ち歩いているし・・・
などなどの条件がかさなり
ダイエー栄店まで自転車を買いに行きました
ここのダイエーは11時までやっているのですが、
今月いっぱいでで閉店するとのこと
よって3割引きのバーゲンで購入しました
それにしても前の自転車はよく使ったなあ
片道40分の通勤では大活躍でした
もう、7年ぐらい使用したので寿命でしょうね
しかし、駐輪場がひとつしかなく
家に持ち込もうとしたけど、玄関から入らなくて
そのため、駐輪場の奥の方においてあるのですが
注意されるのだろうか
粗大ゴミの日までおきたいのですが・・・
管理人に言うべきか言わざるべきか
迷っています

51.2005年10月12日:鵜飼君に勝っちゃいました

今日、復帰後第2戦は鵜飼八段でした
5子置いて勝っちゃいました
棋譜も載せようと思ったのですが、覚えていません。
ブランクのせいなのか、歳のせいなのか・・・
歳で思い出したのですが、
僕は若く見られます。
しかし、この前読んだ「壬生義士伝(下)」でこんな場面があります

しかし何だねえ、客人。
新時代もデモクラシイも結構だが、世の中が良くなったせいで、ここんところとんと男がいなくなっちまった。
そうは思いませんかい。
私のところへ下足をつける若い者にしたって、ちょいと叱言を言うとすぐにプイッといなくなっちまう。部屋住みの辛抱てえのができねえんです。
もっともこの大戦景気で、誰も食うのにャ困らねえ。何も好んでやくざな稼業なんざやらなくたって、三度のおまんまはちゃんと食えるんだから、男を磨けなんてえのがそもそも無理な相談だ。
苦労の足らねえやつばっかしだから、どいつもこいつも年よりか若く見える。女なら悪かねえが、男が年より若く見えるてえのは、決していいことじゃありやせん。そんだけ馬鹿、ってこってす。

僕はここで泣かされました。

52.2005年10月17日:友遊くらぶ出場者決定

友遊くらぶ は以下のメンバーで行きます
藤原七段、瀬口五段、深谷五段、花井四段、細川初段
そして僕です。
去年ははじめて優勝者なしでしたので、今年は気合いっぱいで頑張ろうと思います。
「半落ち」を読んだけどイマイチでした。
心に残ったセリフは以下だけです。

あなたは誰のために生きているのですか
その問いかけに
自分のために生きている。その当たり前のことが切なかった。

今、読んでいるのは「天を衝く」です。
高橋克彦の「陸奥三部作」の最終章。
日向さんはもう読んだだろうか?
岩屋さん教えてあげてやって下さい。

53.2005年10月26日:なんだかブログが壊れているみたいで

これで直るのかな?
僕のPOG馬、ビッグカポネが勝ちました
今期1勝目
最近寒くて、風邪気味です
土曜日から囲碁ゼミナールで高山へゆくのですが、大丈夫でしょうか?

54.2005年11月2日:友遊くらぶ 1日目


今年の友遊くらぶは、例年と違って10月29日〜31日でした。
今までは8月の終わりに琵琶湖のほとりだったのですが、今回は少し趣向を変え、紅葉の飛騨高山です。
私は朝7時に起きて7時30分家を出発。
途中でバイク事故(熱田神宮付近)があり、渋滞に巻き込まれ、店に着いたのは8時30分。ただちに深谷さん、細川さん、花井さんと出発しました。
途中一度のトイレ休憩をとっただけだったのですが、会場のホテルに着いたのは12時過ぎていました。藤原さんが乗った車とちょうど一緒になり、藤原さん、瀬口さんも一緒に食事です。
1時からスタートした碁盤取り大会。今日1日目は予選でした。
成績は、深谷さん、花井さん、細川さんがともに2連勝で明日の午前中にあと1勝すれば、決勝トーナメント進出です。
僕ですか?
よく聞いてくれました。僕は○○○と三連勝で早々と決勝トーナメント進出を決めていました。夜バイキング形式の夕食をとり、ビンゴゲームではひとつも商品を取れなかったけど、肌寒い露天風呂は良かったです。
明日は2日目、いよいよ決勝リーグです。

55.2005年11月3日:友遊くらぶ 2日目


深谷さん、花井さん、細川さんの3人は決勝リーグに入るため、午前中決戦に向かった。
結果は、細川さんが敗れ予選リーグ敗退。
残りの二人と僕は決勝リーグに進出した。
3人ともブロックが異なる為、3人の優勝が実現できるかもしれない。
昨日早々と決勝リーグ進出を決めた僕は、大角さんの愛知万博の写真を見たりして時間をつぶしていた。
ここに載せた写真がそれです。
昼食のカレーライスを食べ、いざ決勝リーグへ。
決勝リーグは別室、畳の部屋で時計を使って行われる。
別室に入った僕達に、次々と対戦相手が決まってゆく。
深谷さん、花井さんと決まり、いよいよ僕の相手だ。
「斉藤さんは不戦勝です」との言葉に僕は、ガッツポーズして、他の人の所へ報告しにいった。もちろん「準決勝勝ちました」との報告である。

56.2005年11月4日:友遊くらぶ 2日目 不吉な予感

準決勝は、深谷さんが敗退。花井さんは勝ち残り決勝へ。
深谷さんは負けた後に、決勝戦が不戦勝になる事を知り、とても残念がっていた。
決勝であたる人が急遽用事が出来て帰ってしまったのだった。深谷さんの準決勝がこのブロックの事実上の決勝戦だったのだった。
僕は知っている人全てに「決勝進出。不戦勝で」と言いまわって、馬場九段にも「先生、準決勝は不戦勝でした」と報告。すると「それは、ラッキーだったね。ところで決勝は誰とやるの?水谷さんという人だったら強いよ」と教えてくれた。
僕は準決勝がなかったので、もう一つの準決勝(勝者と僕が決勝戦)の囲碁を見て、研究しても良かったのだが、おなかが空いていたので、ずっとおかしを食べながらジュースを別室で飲んでいた。
馬場先生の言葉を聞き、次当る人の碁でも見ておこうと、対局場へ行くと、すでに対局は終了していた。トーナメント表を見て僕の対戦相手を見ると、勝ち残ってきた人はその「水谷さん」だった。

57.2005年11月5日:友遊くらぶ 決勝戦


負けてしまいました。
あまりに暇だったので、大角さんと碁を打ちました。置き碁だったのですが、14目負け。
じゃあ、碁盤取り大会はというと





負けてしまいました。



花井さんが・・・


残りは僕ただ一人。
盤上の向こうには、強敵水谷さん。意外と若い。年寄りの人はポカがあるけれども若い人はポカが少ない。
同じ点数なので、ニギリで開始。僕が白になって「これで盤上五分で勝てる」と内心喜びました。僕は自分のパターンが三連星なので、白のほうが適当に相手に合わせて打てて好きです。
時計がセットされ、開始。
水谷さん打たない。何か考えている。最初の一手から。
なかなか打たない。時計を見ると時計の針は動いていなかった。黒が最初に打ってから時計はスタートなのかな?と思っていると、左下星に黒1、平凡な手でした。
僕は右上星に白2。あっという間に、、3秒ぐらいで、、打つ。
ここからは棋譜を載せたかったのですが、途中から覚えていなくて載せれません。
とにかく、20手目ぐらいから僕は不利。圧倒的に不利。石を重くされそれが逃げるだけという展開。相手は僕の石を攻めつつ厚くなってゆく。
50手目ぐらいで、僕は攻められていた石を2目だけで生きます。
その段階で、もし相手が守りに入ったら多分20目ぐらい負けていたでしょう。
しかし、それが素人です。プロは5目勝っていたら、固く打って1目勝ちにしようとする。素人は5目勝っていたらさらに安全に沢山勝とうとする。
相手が僕の領地に入って来ました。その石は相手の大石とつながっているため、取ることは出来ません。
もう自分の地を小さくして生きるしかなかったのです。しかし、それではこの碁負けです。
それで、僕はそのつながっている大石ごと全部取ろうと考えました。
僕がこの碁を勝つにはそれしかなく、しかし、相手に悟られずに、その大石を取る。
わざと相手に自分の領地にいれさせる。しかし、目は作らせない。
そして、大石を切る一箇所。それはコウを仕掛けるしかない。しかし、そのコウも自分から手にするのでなく、相手の手に答えてコウにしなければいけない。
仕掛け作りをして見事コウにしました。そしてどんなコウ材も無視して大石を確保。この石は40目ぐらいあり、出入り80目。
これで投げるかと思ったのですが、時計を見ると僕の残りは8分。相手はまだ30分あり。
ここから慎重に慎重に打って最後まで打ちきりました。
並べてみると、45目と15目、大差での勝利!
2年ぶり2度目の優勝で、碁盤をGETしました。

58.2005年11月8日:四段昇段試験


今日、囲碁教室に行ったら、四段昇段試験がありました。
てっきり、来月と思っていたのですが・・・
裏野八段と昇段受験者二人が二面打ち。もう一人の方も四段昇段なので、二人とも4子の置碁です。
結果は

14目勝ちです。

四段昇段おめでとう。ありがとう。
ここのタイトル「遥かなる五段」ももうあとわずかなところまで来てしまいました。
自分の才能が恐ろしい最近です。

写真は、サムライがこの前の休みに彦根で仮装したものです。多分私を祝ってのことだと思います。

59.2005年11月13日:天を衝く

また泣かされました
陸奥の三部作「天を衝く」です。
「炎立つ」「火怨」で泣かされ、三部作最後でも泣かされました。
風邪気味だった体が治りました。
僕は高校を卒業する時に、
「ダメだとわかっていてもやらなければいけないことがある」と言う友人に対して、「ダメだとわかっていたら、やる必要なんかないじゃん。1%でも可能性があるなら話は変わるが」と答えたのですが・・・
この本を読んで、180%考えが変わりました。
人間、ダメだとわかっていてもやらなければならないことは確かにあります。

日本中の誰もがひれ伏した10万の豊臣秀吉軍。わずか5千の兵で九戸政実は喧嘩を売った。

 政実は頬を紅潮させている皆を見渡して七戸家国同様に胸の高鳴りを覚えた。この瞬間、皆は死を忘れてしまっている。もともと死を覚悟で集まってくれた者たちだが、今の顔は覚悟とも違う。心を無にしている。
「我ら一人の問題ではない」
政実が口のすると広間は静まった。
「また、敵とて秀吉一人ではない」
「・・・・・」
「いつの世にも秀吉と変わらぬ理不尽な者が現れよう。それに対して我らは抗うのだ。未来永劫、我らの戦さが範となる」
 皆はどっと泣き伏した。天井に顔を向け、手放しで泣いている者もある。

陸奥の三部作、本当に良い作品です。

60.2005年11月19日:最近の出来事あれこれ

この前の知多囲碁祭り大会では、東海囲碁サロンが上位を独占!
Aブロックが中野さん優勝
Bブロックが浜さん準優勝
Cブロックが都築さん優勝
(全部でAブロック〜Eブロックまであり、棋力毎に分かれている)という優秀な成績でした。
知多地方団体戦でも、現在4年連続優勝という快挙を達成中です。
僕は先週の火曜日、初めて四段で対局し、見事に快勝。
本の方は、「天を衝く」があまりにも面白かったため、気が抜けた状態です。
インフルエンザの予防接種の1回目を打ってきました。2週間後にもう1本打ちます。去年は3500円だったのが、今年は3000円でした。
この前碁会所に行く時、車のハンドルが取られて、路肩に止めると、なんとパンクしていました。近くのガソリンスタンドで調べてもっらたのですが、タイヤはどこにも穴があいておらず、空気を入れるだけの処置。一応来週もう一度見てみて、空気が減っているなら、どこかに小さな穴があいているとの事。もし穴があいていないなら、誰かがイタズラで空気を取った可能性ありとの事。
今週判明します。

61.2006年1月11日:あけましておめでとうございます

って
もう11日になりますが・・・
今日は今年最初の囲碁教室でした。
またも勝って、これで四段昇段後は5連勝です。
囲碁教室では負けなしなのですが、囲碁サロンの成績はイマイチ。
1月29日(日)馬場九段の指導碁なので、僕が四段になった事を
みんなに証明してもらおうと思っています。
なぜなら、皆口を揃え「四段?」「これが四段の碁?」と言うからです。
現在、去年の成績を集計中。
なかなかはかどらず、更新がSTOPしています。
そろそろ、更新も始めたいと考えていますので、
今年もよろしくお願いします

62.2006年1月28日:またまた久しぶりです

また仕事が忙しくなり(現在、JRタワーで働いています)
囲碁教室は2回休みます
しかし、現在の囲碁教室の成績ですが、
なんと、9ヶ月負けなし(とは言っても、5月〜9月までは休んでいたのですが)というすごい成績です。昇段テストを行っていた裏野八段がいなくなり、これからは鵜飼八段が昇段テストをするわけですが、この前の火曜日、その鵜飼八段に四子で勝ちました。
四段に昇段後、負けなしの6連勝(鵜飼八段に勝つと勝ち星2つなので実際は7連勝)中です。五段の1回目の8勝まで最短で進んでいます。
HPはなかなか更新が進まず、結構ネタがたまっています。
POGのほうは絶不調で最下位。しかし、明日は僕の馬が3頭登場します。テューダーローズもその中の1頭です。僕のドラフトbPなのですが、なんとか変わって欲しいです。
日曜日は馬場九段の指導碁です。

63.2006年2月2日:前半はPOGの話、後半囲碁の話

今年のPOG(去年夏〜今年のダービーまで)は散々です。
POGとは何かと言うと、Paper Orners Game、つまり仮想の馬主になり、自分の馬の成績を競い合うものです。
毎年、10頭選ぶのですが、僕が選択した中で、すでに2頭は競走馬でなくなっています。
残った8頭の成績も散々で、まだ2勝しかしていない状況。唯一期待がもてるのが、この前勝ったプリムローズヒルです。
以下出走後の記事です
「直前の追い切りでは栗東坂路で4ハロン50秒6と古馬オープン級の時計をマーク。実戦では2番手から楽に抜け出し3馬身半差の完勝だ。「直線はけいこの感触どおり」と幸騎手。松元省厩舎で下河辺牧場生産のSS産駒といえば、3冠牝馬スティルインラブと同じ背景。混沌とする牝馬クラシック戦線に、いよいよ“大本命”が登場か。」
これがこけたら、もうあきらめムード。今度のチューリップ賞に出走予定です。

碁の話ですが、最近、店での点数が上がってきました。
二段:109点、三段:118点、四段:127点なのですが。ついに121点と120点を超え、未知のゾーンに入ってきました。
今日、韓国のお客様と対戦しました(互い戦)。韓国のお客様で、名前は韓さんと言います。まあ、本当にうちのお店のお客さんらしい名前です。最初お店に見えたとき「初段」ということで、対局していたのですが、皆を蹴散らし、一気に10点プラスしたという方です。
豪腕という噂を聞きどんな方かと思っていたら、何と今の韓流ブームに乗ったような男前の方でした。
ここまで持ち上げたと言うことは、対戦の結果はもうお分かりでしょう。
そう、僕が勝ちました。
水谷さん、安心して下さい。
日本棋院の免状を返さなくてすみました。

64.2006年2月21日:五段へ、1回目の8勝達成!!

このタイトルの「遥かなる五段」は、もうお別れかもしれません。
今日、囲碁教室で勝ち、7戦全勝の最短距離で1回目の8勝をあげました。
(7戦のうち1勝は鵜飼八段からあげたものであり、彼に勝つと2勝分)
あと8勝すると、五段試験碁挑戦となり、それに勝つと
五段
です
遥かなる五段、全然遥かにありませんでした。
二段からほぼ毎年1段づつ昇段しています。このままで行くと5年後が恐ろしいです。まだ定石を覚えていないのに・・・
しかし、今日久しぶりに教室に行ったら、鵜飼八段がもう辞められていて、今度の試験碁担当者は 院生 でした。
院生、確か「ヒカルの碁」のヒカルも院生だったような気が・・・
強敵かもしれません。馬場九段はまた強敵を僕のために準備してくれていました。多分、子を思う星一徹に似た感情でしょう。
試験碁で試験官に黒を持たせて勝つ、これが僕の究極の目標です。

65.2006年2月27日:マンション管理組合会合

今日大雨の中、マンションの管理組合の第1回会合が開かれました
延々とダラダラと少しずつ決まって行き、議長が「他に何かありますか?」との問いに、僕は「このマンションでは不特定多数のお客を相手にお店を開いても良いのですか?」と質問しました。
「一応規則ではダメですが・・・」との回答に「今そのお店を見つけたら、誰にチクれば良いのですか?」と鋭いツッコミを入れました。
そこからにわかに議論は白熱
「どこどこの誰々はまだ1回も見たことがない」とか
「あそこは明らかに店を開いている。店の外の看板は共有スペースだから駄目だ」とか
「でも、あそこのオーナーは店を開いても良いと購入時に確認したそうだ」とか
「あそこの人はゴミを分別していない」とか
「フィリピン人の人が住んでいるから、英語で説明文を書いても無駄だろう」とか
「中国語やロシア語など、万博の時の案内みたいに説明文を書いた方がよいだろう」とか
「ゴミをベランダから投げ捨てるやつがいるが、絶対1人だ。ゴミをチェックしているが、そいつはいつも同じものを食べてよくあきないなあ」とか
「エレベーターに”池田”って落書きしてあるが、あれって池田公園のことではないですか」(これ、ナイスでーす)とか
色々言われている当事者たちは今日は参加せず。
今後の展開が面白そうです。
やはりこのような会議には出来るだけ参加するべきと感じました。

テューダーローズ が やっと 1勝 しました。
青色申告の作業が が やっと 終わりました。

66.2006年3月3日:パンク

今年はタイヤの話題が多い
この前続けて車のタイヤから空気が抜けたと思ったら、今度は自転車だ。さあ、帰ろうと思い自転車に乗ったら後のタイヤがパンクまたは空気が抜けていた。自転車を引いて歩いていると、警察署の前で警察官に話しかけられた「信号無視はダメですよ」と、ああそういえば100m前の信号を赤で渡っていたのだった。「ごめんなさい」と謝ると、その警察官は僕の自転車の照合をしだした。
おまわりさん、どこにパンクした自転車を盗む人がいるのでしょうか?
と聞きたいのを我慢して、待っていた。雨が降っていないのが幸いだ。去年の年賀状を思い出したけど、これから自転車を引いて家まで帰るのかと、考えると気が重たかった。
家に着いたら、30分ぐらいでこれたみたいだった。
明日は、地下鉄で行くか?歩いてゆくか?
自転車は土曜日に直そうと思ったけど、錦に自転車屋はあるのか?

チューリップ賞は、僕の最後の期待の馬プリムローズヒルが抽選で出走する。
テューダーローズは毎日杯に出走予定。
来週は青色申告に行くし、相撲や野球も始まる。
回りが徐々に忙しくなってきたが、とりあえず明日はシルキーに行こう。

67.2006年3月6日:青色申告に行ってきました

本来なら、明日晴れた日に行こうと考えていたのですが、さあ、会社に行こうと思い、自転車に乗ってみると
なんと
前輪がパンク・・・・
土曜日に後輪を直したばかりなのに
まったく、仕事に行く気がそびれ、急遽、今日税務署に行くことにしました。そのため、今日は背広で傘を差して自転車に乗って行くことになりました。
もしかしたらと、空気を入れるとタイヤは復活して、これって数ヶ月前の車の時とまったく同じ現象。しかし、時間がないため、まず住民票をもらいに中区役所まで行き、次に中税務署まで行きました。HPを見て書類をそろえていったのに、書類が足りませんでした。
HPには、
「家屋の登記事項証明書、請負契約書や売買契約書などで家屋の取得月日、床面積、取得価格を明らかにする書類又はその写し」となっていたので、売買契約書を持っていったところ、「登記簿謄本」が必要と言われました。
「売買契約書で良いとHPに書いてある」と、HPのコピーを見せても、「そこには、そう書いてあるかも知れないけど、書類がないとダメだから」と。
仕方ないので、法務局にそれを取りに行きました。
途中で入ってきたおじさんは、役所の態度が悪いとモメていて、「責任者を呼んで来い」と怒鳴っていました
。 色々皆思うことがあるようです。
最悪なのは、カバンから今日の書類を出してしまおうとした時に、ひとつ大事な書類を提出し忘れていたことに気が付いたことです。明日、仕事を遅刻してまた税務署に行きます。

68.2006年4月6日:Rolling Stones 名古屋初上陸!

行ってきました
16年ぶりのストーンズのコンサートに
今回は名古屋初登場ということで、会場はナゴヤドームでした。
会社を早退し、自転車でナゴヤゴームに向かったのは良いのですが、途中で迷子になり「すいません。ナゴヤドームはどこにありますか?」とアパマンショップのお姉さんに聞きました。19時開演なのですが着いたのは、10分前。しかもトイレに行きたかったので、トイレを捜すと、そこは既に長い列が・・・。
やっと会場に入ると(席はアリーナ席)もう2分前で、まもなく始まります、とのアナウンスが終わると会場はライトが落とされました。
いよいよかと思ったら、前座のバンドでした。その前座のバンドが30分ステージを行い。また会場は電気がつけられて明るくなりました。時計を見るともう8時ではありませんか。
ここで僕は数年前に大阪で見たミック・ジャガーのコンサートのことが頭をよぎりました。このコンサートで彼は体調不良になり延期になったのです。
もうこの時間帯になると、バックミュージックが終わるたびに歓声が沸きあがり、皆はやし立てます。いきなり、会場が暗くなり開始。最初の曲は、ジャンピング・ジャック・フラッシュ!
その後も、イッツ・オンリー・ロックン・ロール、ブラウンシュガー、ギミー・シェルター、Syamapathy foe the devil、Happy、Satisfaction、ダイスをころがせ等知っている曲ばかりで、知らない曲は2曲ぐらいでした。
ミス・ユーの曲でステージが前方に移動し、トンキー・トンク・ウイメンでまたステージがもとに戻り、移動して近くでメンバーを見ることが出来る観客は大熱狂です。
バンドのメンバーが年寄りなら、客も結構年寄りが多く、来る途中で階段でこけた夫婦がいたりしましたが、平坦なアリーナ席で前が見えるか心配していたけど、皆年寄りのため背がひくくてよく見えました。
コンサートにいくのも7年ぶりぐらいで、想像以上に面白いコンサートでした。今までで2番目に面白いコンサートでした。1番目はなんといってもブルース・スプリングスティーン日本初上陸のコンサートです。これからも、昔みたいにコンサートに足を運ぼうと思いました。

69.2006年4月26日:久しぶりに囲碁の話

今日、店で4連敗でした
店は点数制度で、
初段:100点、二段:109点、三段:118点、四段:127点といった具合に、一段差で9点の開きがあります。
僕は店では二段なので、109点からスタートしました。最近点数が上がってきて127点と、本来の実力?(囲碁教室で四段なので四段の点数)に先週初めて到達しました。
「もう、三段でいいよね」という僕に、店の皆は「10点20点ぐらいはすぐ上がったり下がったりするから」とのつれない声。その声を聞いて、五段の点数にしたら誰も文句言わないだろう、と今日は気合を入れて打ったのですが・・・
実は今日のために、昨日昔の棋聖戦の棋譜を少し並べたのです。
それが、まずかったか?通常の指導碁の棋譜はすらすら並べることが出来るのですが、プロの棋譜はそんなわけにはいきません。何が違うのだろうと考えて4つならべても、まだ答えは出てきません。
なんとなくおぼろげに、素人の六段との違いがわかったかの程度ですが、それを言葉に表すことが出来ません。
しかし、うちの店は名古屋の囲碁教室よりふたつは辛い、と言われます。
(意味は名古屋の囲碁教室で三段のひとは、うちの店にきたら初段ぐらいという意味)周りはどんどん段位が上がっていきますが、うちは父の時代からに伝統で、とても厳しいです。父の時代には昇級でなく降級する人もいました。
ということは、ここで四段の点数なら、囲碁教室では六段か?期待は膨らむ一方です。中部総本部の中島君とは差が開くばかりで申し訳ないです。もしかしたら、水谷さんにも、もうすぐ追いつくかも知れませんね(笑)

70.2006年5月3日:対決 中部総本部水谷さん

日曜日に店に行ったら、携帯に水谷さんから連絡がありました。
「今からお伺いして良いでしょうか?」
この前の、このブログを見て、僕の鼻をへし折ろうという事です。
「お待ちしています」と返事をしてから、30分ぐらいで水谷さんはやってきました。まだ、お客さんが誰も来ていなかったので、二人で対局開始。この店の点数制を無視し、水谷さん六段、僕四段で、2子での対戦です。
結果は予想通り僕の勝ちですが、すごいところは、終盤で僕はケンシロウの「おまえはもう死んでいる」のように、「8目勝です」と水谷さんに宣告しその通りに勝ったことです。終盤といってもまだ寄せは残っている状態で・・・このすごさは一度水谷さんに直接聞いて下さい。
しかし、碁の内容は結構細かく、途中で計算したら「やばいかも」っていう感じでした。最後、だますような手で相手の石を取込んだから良かったものの、本当は冷や汗ものでした。まだまだ、布石や定石を知らず、水谷さんを越すのはまだかかるでしょう。
しかし、布石や定石を知らないという「のびしろ」を持って今の実力ならまだまだ伸びる要素はありそうです。
続きは、水谷さんのコメントで。

71.2006年8月22日:2006年度 友遊くらぶ

お久しぶりです
電話をくれたかたもいますが、まだ返事していません
ごめんなさい
ところで、久しぶりですが、自慢です
今年の友遊くらぶ「碁盤取り大会」優勝しました
2年連続
3度目
これって記録らしいです
いやー、まいったな

72.2006年10月22日:森君 と 中日ドラゴンズ

ずっと囲碁日記をさぼっていた間に
森君がすごいことをやっていた。
なんと、日本アマ代表になってしまったのだ。
もっと詳しく述べると以下のように

  第28回世界アマ日本代表決定戦・全国大会
  愛知県代表・森洋喜、初優勝
  9月16〜18日  於 日本棋院東京本院
  主催 : 日本棋院

こういう事だ
確かに、東海囲碁サロンに通って力をつけたきたと思っていたが、まさか優勝するとは!
優勝後、お店にみえたが残念ながら会えませんでした。
とにかくすごい
世界選手権がいつあるのか調べようと思います

あと、ひとつ
中日が優勝し、今、日本シリーズを戦っている。
今年こそ生まれて初めての日本一になるか?
僕はしばらく中日と森君を応援します

73.2006年10月29日:森君 v.s. インターネット初心者

今日は全然お客様がいなかった
しかし、以前メールを頂いていた「インターネット初心者」の方がはじめて店にお見えになった。「囲碁未来」の年間会員登録で、三ヶ月無料の初心者会員の手続きをして、さっそく5子置いてご指導させて頂きました。
15級ぐらいと聞いていたのですが、前半から、布石快調で「本当にインターネットでしかやっていないのですか」という僕に「はい」と答えつつも真剣な眼差しです。対局終了後、並べなおししている時、途中からお見えになって森君がやってきて、二人の対局図で僕にもついでに指導。
二人とも「ヘエー」って感じでした。
そのあと、森君に彼女が9子で挑戦。途中で色々指導しながら打って、白の7目勝ちでした。が、森君も「とてもインターネットでしか打っていないとは思えない。子供並みの上達ですよ。子供だったらプロに誘われているかも」と絶賛。
「**年前から始めたらプロになれたかもしれませんね」と僕が減らず口をたたきます。
彼女は、後は実戦だけのようです。
すぐに、1〜2級になれそうな感じです。
森君はさすが僕と同じく女性にはやさしい。
森君が気をつけるとしたら、対局者が女性の時でしょうか・・・

74.2007年1月10日:五段昇段!!

ほとんど日記つけていないんですけど
その
今日
五段
になっちゃいました。
年賀状には「来年早々五段昇段試験!」と書いたのですが、勝っちゃうとは思いませんでした。
いやー なんと言って よいやら
この 「遥かなる五段」 終了ですかね
次の題名 誰か考えてもらえないでしょうか?

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